■ どんなことを手紙に書くか、そもそも書くべきなのか?
山本 前回は人間の諸能力について話しました。
吉川 友人に手紙を書くことを例にしてね。
山本 それで、書く能力とはなにかについて考えた。
吉川 うん。当然のようだけど、手紙を書くには、ものを書く能力が必要。
山本 ものを書く能力とは、たくさんある文字を適切に区別して、ペンやキーボードで実際に文字を書きつけることができること。
吉川 うん。でも、自分自身を考察すること、これは書く能力にはできないことだとエピクテトス先生はおっしゃる。
山本 具体的にはどういうことだろう?
吉川 どんなことを手紙に書くべきかという判断だね。
山本 それに、そもそも手紙を書くべきかどうか、という判断もある。
吉川 たしかにこれらは、ものを書く作業とは別の事柄のようだ。では、そのために必要な能力とはなんだろう?
山本 それこそが「理性的能力」である、と先生はいうわけだ。
吉川 理性!
山本 そう、理性。
吉川 この理性というのは、なかなかどうして、分かったような分からないようなところのある言葉だよね。
山本 日常的にも使うし、哲学の専門用語でもある。
吉川 哲学の世界では、理性とか悟性とか知性とか、似たような言葉も飛び交う。
山本 吉川くんの好きなカント先生の『純粋理性批判』なんか、まさに理性がテーマだね。
吉川 そうそう。他方で、日常の会話で「理性を失う」とか言ったりもするよね。
山本 欲求に負けそうな状況とかね。「理性が飛ぶ」なんて言い方も見かける。
吉川 うーん。とりあえずは、「物事を判断する能力」くらいに考えておいていいかな?
山本 そうだね。そこから深掘りしていこう。
■ デュナミス・ロギケー=理性
吉川 理性って、例によってヨーロッパ諸語から翻訳された言葉だよね?
山本 そう、日本語の「理性」がちょっとややこしいのは、これが翻訳語でもあるからなんだよね。
吉川 これも明治時代に西洋の学問を日本語に翻訳しまくった西周先生によるものかな?
山本 そのとおり。ほかにも主観、客観、帰納、演繹、悟性、感性なんかも彼の手になるもの。
吉川 すごいね、それっぽいやつはだいたい西周。そもそも「哲学」が彼の発案だもんね。山本くんはその辺について詳しく調べて本を書いたよね。
山本 うん。『「百学連環」を読む』という本で検討してみたことがあるよ(★1)。じゃあ、日本語としての来歴も含めて、理性について少し説明しようか。
吉川 お願いします。
山本 19世紀の終わり近く、明治の頃にreason(英語)、raison(仏語)、Vernunft(独語)、ratio(ラテン語)に対応する訳語がいろいろ工夫されたんだよね。その一つが「理性」。
吉川 ふむ。もとは仏教語かな?
山本 そう。「理性」と書いて「りしょう」と読む。「不変の本性」とか「普遍の真理」という意味だった。
吉川 おお、そういわれるとまさにぴったりの言葉のように思えてくる。
山本 まとめると、reasonをはじめとするヨーロッパ諸語の概念を日本語で受け止める際に、仏教語の「理性」と同じ漢語を使ったわけだね。明治の知識人なら、古代中国の「理」、ものごとの筋道のような意味も念頭にあったと思う。
吉川 なるほどね。では、エピクテトス先生の『語録』の原文ではどんな言葉だろう?
山本 「デュナミス・ロギケー」とあるよ(★2)。
吉川 なんかかっこいい。
山本 「デュナミス」は「能力」のことで、「ロギケー」は「ロゴス」にちなむ。これが訳文の「理性」に対応する。
吉川 ロゴス出たー。
山本 うん。ロゴスはいろいろな意味をもつ面白い言葉で、そう、まさに「言葉」という意味もある。それこそ物事の理(ことわり)に関わってもいる。
吉川 そしてロジック、つまり論理のことでもある。
山本 邦訳では、これを「理性的能力」と訳しているわけだね。説明はこの辺にして、エピクテトス先生に戻ろうか。
■「理性はできる子」
吉川 先生は、人間がもっているいろんな能力のうち、理性的能力だけが、他の一切についてはもちろんのこと、自分自身(理性的能力)についても考えられる、そういう能力だと言っている。
山本 「書く能力とはなにか」とか「踊る能力とはなにか」だけでなく、「そもそも理性的能力とはなにか」なんてことまで検討できる、というわけだ。
山本 かなり特別な能力っぽいね。
吉川 理性はできる子。
山本 他の能力の場合、たとえば書く能力は、そんなふうに「書く能力とはなにか」とか、「どんな場合に書くべきか」といったことを考えたりしない。
吉川 こういう感じかな。書く能力というのは個別の技術。だから書く作業以外の事柄とは関係ない。他方で、理性的能力のほうは、人間が行うあらゆることについて判断する能力であると。
山本 そうだね。個別の技術とは異なる、全般的な判断の能力。
吉川 さしあたってはそんなふうにまとめておこう。
山本 そこでもう一つ、面白い概念が出てくるんだけど、これは次回検討することにしようか。
吉川 そうしよう。
★1――山本貴光『「百学連環」を読む』三省堂、2016
★2――実際にはἡ δύναμις ἡ λογικήと定冠詞がついた形。Epictetus I (Translated by W. A. Oldfather, Loeb Classical Library, Harvard University Press, 1925), p. 8.