■ バンドやろうぜ!?
山本 前回は、ストア哲学の体系が、論理学、自然学、倫理学という三つの部分からなることを確認しました。
吉川 三つの部分が単に集まっているだけじゃなくて、それらが一体となってストア哲学を構成している。
山本 うん。ストア哲学の創始者たちはその構成をうまいたとえで表現していたね。
吉川 ストア哲学は卵であり(殻は論理学、黄身は自然学、白身は倫理学)、生き物であり(骨と腱は論理学、肉は倫理学、魂は自然学)、畑である(囲い壁は論理学、果実は倫理学、果樹ないし土壌は自然学)、と。
山本 どのパートが欠けてもストア哲学は成立しない。例のディオゲネス・ラエルティオスはこう書いているよ。
彼らストア派のなかのある人たちの主張によれば、そららのどの部門も他の部門から切り離されてはいないで、互いに混じり合っているのだとされている。そしてその人たちは、これらを混じり合ったものとして教えていたのである。(★1)
吉川 バンドみたいだね。スリーピースバンド。
山本 それでいくと、さしずめドラムが論理学で、ベースとギターがそれぞれ自然学と倫理学になるかな。
吉川 いいね。バンドやろうぜ!
山本 もう一人呼んでこなくちゃ(笑)。そういえば昔あったよね、宝島社の雑誌で。
吉川 懐かしい。
山本 いまはそういうスマホゲームもある。
吉川 世にバンドの種は尽きまじ。
山本 それはそれとして、大事なことは、論理学、自然学、倫理学の三つのパートが、それぞれ必要不可欠な要素として、ストア哲学全体の体系に貢献しているということ。
吉川 まさに生き物のように。
■ 論理学=理性×言葉
山本 まずは論理学から検討していこうか。
吉川 卵の殻であり、動物の骨と腱であり、畑の壁であるところの。
山本 たとえ話にもあるように、いわばストア哲学を支える骨組みとか構造のようなものだね。
吉川 ところで、ストア哲学における論理学って、いま哲学の授業で教わる論理学と同じなんだろうか。
山本 まずはそこがポイントだね。ストア哲学で論理学とよばれるものと、いま学校で教えられたり研究されている論理学とは、ちょっと、というか、かなり違う。
吉川 まあ、2000年以上も経っているんだから、当然だよね。
山本 うん。でも、もちろん共通する部分も大きい。
吉川 まずはそこのところをはっきりさせておこう。
山本 ストア派の論理学は、現在われわれが知っている論理学よりずっと広い領域をカヴァーしている。
吉川 ふつう論理学といえば、正しい判断を得るための思考の規則のようなものを研究する学問だよね。昔から哲学の一部門といわれている。
山本 うん。でもストア派の論理学は、認識論、意味論、文法、文体論といった要素も含んでいる。
吉川 へえ。なんだか哲学、言語学、文学の領域にまではみ出しているように見えるな。どうして?
山本 そうそう、この点は「論理学」という馴染みのある日本語だけで考えると見えづらいところかも。
吉川 いまの教育では論理学といえば、数学の範疇だったりもするしね。
山本 そこで原語を確認してみると、これはロギコン(λογικόν)あるいはロギコス(λογικός)がもとの言葉。この名称が示すとおり、ロゴスにかかわる学問ということだ。
吉川 うーん。もう一声!
山本 ロゴスという言葉は、いろんな使われ方をしたようで、辞書でもたくさんの用例が出ている語のひとつ。ここでの議論に関わる範囲でまとめて言ってしまえば、二つくらいに要約できる。いまの日本語でいう「理性」という意味と「言葉」という意味だね。
吉川 その二つの意味が同じ語に含まれているのは面白いね。
山本 「理性」のほうは、なにかの「理(ことわり)」くらいに捉えてもよいかも。
吉川 ああ、そうか。
山本 どうした?
吉川 ほら、心理学とか生物学という訳語も、サイコロジー(psychology)とかバイオロジー(biology)が原語で、このlogyは、なにかを「言葉(ロゴス)」で記述するということであると同時に「理(ロゴス)」でもあるわけだと思ってさ。
山本 そう考えてもうまい訳語だよね。それとも似て、ストア派におけるロギコン(論理学)は、ロゴスにかかわる学問。つまり、現代の論理学が扱う思考の進め方のパターンのような「理性」にかかわる問題だけでなく、それを表現する「言葉」の問題をも含んでいるわけだ。
吉川 なるほど。現在では言葉の問題はもっぱら言語学や文学に属するものとされているけれど、ストア哲学は原義のロゴスに忠実に、理性のはたらきと言葉のはたらきを切り離すことなく研究したんだね。
山本 ストア派の論理学が現在の論理学よりずっと広いというのはそういう意味。
吉川 理性×言葉というロゴスの原義に立ち返ればそれがわかるという寸法だね。
山本 そう、それだけに「論理学」という便利な訳語は、ストア派について考える際にはちょっと紛らわしい面もある。
吉川 どうしても馴染みのある意味や理解に引きずられるからね。
山本 とはいえ、翻って考えれば、現在の論理学にしても、本来は思考の理(ことわり)の話であるとともに言語の話でもあるはずだよね。
吉川 ただし、ことによってはさっきの話にもあったように、論理学は数学や理系の方面に、言語は言語学や文学の方面に分けられていて、互いに関係が見えづらくなっている場合もある。
山本 そう考えると、目下私たちが馴染んでいる学問の分類に囚われすぎないように注意しながらストア派についても考えていくとよさそう。
吉川 この点は何度気をつけてもいいね。不用意な時代錯誤に気をつけること。
山本 というわけで、ストア派の論理学について概要を眺めてみました。
吉川 その内実も気になるね。
山本 それについては次回話そう。
★1──ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』(中)加来彰俊訳、岩波文庫、238頁