人生がときめく知の技法

第15回 哲学の訓練(その三)

 

練習、練習、練習あるのみ

山本 心像を正しく使うには訓練が必要だという話をしているところだった。

吉川 じゃあ、実際にはどうやって訓練すればいいんだろう。

山本 エピクテトス先生の提案はものすごくシンプル。練習あるのみ、かたっぱしから吟味・検討せよ、と。

吉川 具体的にはどういうことだろう。

山本 先生はこういっているよ。

 

夜明けるとすぐ外へ出て行って、誰であろうと君が見たり聞いたりする者を吟味するがいい、そして質問に答えるように答えるがいい。君は何を見たか。美しい男をか美しい女をか。基準を当てがって見るがいい。それは意志外のものか、それとも意志的なものか。それは意志外のものである。棄てるがいい。君は何を見たか。子供の死を悲しんでいる人をか。基準を当てがって見るがいい。死は意志外のものである、棄て去るがいい。君は総督と逢ったのか。基準を当てがって見るがいい。総督とはどんなものか。意志外のものか、それとも意志的なものか。意志外のものである。それも棄てるがいい。それは通用しないよ、投げ棄て給え、君にとって何でもないのだ。もしわれわれがそれをなして、そして毎日朝から晩までそれに対して鍛えるとしたならば、神に誓ってきっと、何か生じたことだろう。ところが今われわれは、唖然として、すべての心像によってすぐ捕われているのである。(★1

 

吉川 まずは早起きしろと(笑)。

山本 そこから訓練が必要(笑)。じゃなくて、この場合は、早起きそのものが大事というより、できるだけたくさんの心像を吟味せよ、ということだね。

吉川 このくだりで、先生は三つの例を出して、ほぼ同じ形をした議論を繰り返している。

山本 何かを見る。基準を当てがってみろ。意志外のものなら棄て去れ。これが繰り返されている骨子だね。

吉川 ひたすらこれを繰り返せと。まさに練習だね。

山本 スポーツでも楽器でも言語でもなんでもそうだけれど、繰り返すことではじめて身につく。

吉川 逆にいえば、そうやって練習しないとできるようにならないというわけだ。

山本 エピクテトス先生の指南のなかで、ポイントは「基準を当てがってみろ」かな。

吉川 ここで「基準」というのは、それは権内(意志内)のものか権外(意志外)のものか、という区別のことだよね。

山本 うん。そして、権外(意志外)のことにはかかずらうな、と。

吉川 そう考えてみると、先の引用文でもそうだけど、われわれが出会う心像は、ほとんど権外(意志外)のものになりそうだね。

山本 そうそう。その意味では、世の中はかかずらう必要のない、いってみれば、どうでもいいことに満ちている。

吉川 棄て去るがいい! って、すごいね。でも、もうちょっと判断が微妙な例はないだろうか。「基準」の切れ味がわかるような。

 

激情をクールダウン

山本 じゃあ、こういうのはどうだろう。

 

(われわれは)もし総督を見るなら「幸福な人」といい、追放された者を見るならば、「可哀そうな人」というのだ。また、貧しい人を見るならば、「哀れな人、彼は食う術がないのだ」という。(★2

 

吉川 一見とくに微妙な問題はどこにもなさそうだけど……。

山本 それが、おおありなんだよね。もし、総督を見て「幸福そう」という心像が浮かんだり、追放された人を見て「可哀そう」という心像が浮かんだり、貧しい人を見て「哀れだ」という心像が浮かぶとしたら、それは由々しき問題だ、そう先生はいっている。

吉川 どうしてだろう?

山本 われわれが現に目にしているのは、あくまで総督であり、追放された人であり、貧しい人だよね。

吉川 ああ、なるほど。それなのに、われわれは彼らに対して、幸せそうだとかかわいそうだとか哀れだとかいう心像を勝手に貼りつけている、と。

山本 そう。実際のところどうなのか、わからないのにね。総督は苦悩しているかもしれないし、追放された人はせいせいしているかもしれないし、貧しい人だって満ち足りた生活をしているのかもしれない。

 

不幸とは何なのか。それは思いなしである。争いとは何なのか、争論とは何なのか、非難とは何なのか、不平とは何、不信心とは何、無駄話とは何なのか。これらすべては思いなしであって、他の何物でもない。そして意志外のものについて、あたかもそれが善いものか悪いものであるように思う思いなしなのである。人はこれらのものを意志的なものと置き換えるべきである、そうすれば私は彼の周囲の事情がどうであろうと確乎不抜であることを保証する。(★3

 

吉川 ふむふむ。美しい男が美しいのはそもそも意志外(権外)のことなのに、自分の頭のなかで美しい男=幸せ=うらやましいなんて「思いなし」を野放しにしておくから、羨望や嫉妬といった激情にのみ込まれてしまうのだと。

山本 うん。自分のなかに「うらやましい」という心像が浮かぶこと自体は、避けられないことかもしれない。でも、そうしたときに一歩ひいて、それは単なる思いなしであり、いま自分の目の前には美しい男がいるという意志外の出来事があるだけだと。

吉川 そんなふうにして、自分にあらわれる心像をひとつひとつ検討していくわけか。なかなかたいへんだなこりゃ。

山本 たいへんだけど、日々訓練あるのみ、というのが先生の教えだね。

 

1──エピクテートス『人生談義』下、岩波文庫、22-23ページ

2──同上、23ページ

3──同上、23-24ページ

 

 

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