人生がときめく知の技法

第19回 ストア哲学の体系(その三)

 

「自然と一致して生きる」とは?(承前)

山本 ストア哲学のスローガンは「自然と一致して生きる」というものだった。

吉川 前回は、これにまつわるふたつの誤解について話したね。

山本 うん。ひとつは「大自然に囲まれて生きる」で、もうひとつは「自然の欲求に従って生きる」。

吉川 どちらも、それ自体として間違った生き方だとはいえないけれど……。

山本 少なくともストア哲学における「自然と一致して生きる」とは、あんまり関係がない。

吉川 現代の語感にもとづいて勝手に連想すればそうなってしまうかもねというサンプルでした。

山本 そうなんだよね。私たちはつい自分の視点から捉えがちだけれど、勝手な解釈をしないように注意しないといけない。

吉川 決めつけは禁物だね。

山本 遠い場所や時代の文物を相手にするときにはなおのこと。

吉川 じゃあ、ストア哲学における「自然と一致して生きる」とはどんなことだろうか?

山本 まず、「自然と一致して生きる」というのは、ストア派の創始者ゼノンが『人間の自然本性について』という著作で主張したことだそうだよ。(★1

吉川 ほう。例のディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』に出てくる話だね?

山本 うん。なんでも書いてある(笑)。というか、現在まで伝わるゼノンやストア派の哲学者たちについての伝聞は、ほとんどがこの『列伝』をソースにしている。

吉川 もとの著作は散逸してしまっているからね。それでゼノンはどんな説明をしているんだろう?

山本 ゼノンは「自然と一致して生きる」ことは、「徳に従って生きる」ことにほかならないと言っている。(★2

吉川 なるほど。でも、徳に従って生きることが、どうして自然と一致して生きることになるんだろう?

山本 それは、自然はわれわれを導いて徳へと向かわせるからだ。そうゼノンは言うんだよね。

吉川 うーん。なんか狐につままれたような気分になるね。狐につつまれるのは大歓迎だけど、つままれるのはちょっと。

山本 つつまれたい(笑)。ここでも、やはり現代の言語感覚に引っ張られすぎないように気をつけることが必要かも。

吉川 そうだね。あくまで当時のストア派の哲学に内在して理解するよう努めよう。で、どういうことだろう?

 

理性と徳

山本 ディオゲネス・ラエルティオスによれば、ゼノンやクリュシッポスは、次のように考えていた。

吉川 話の腰を折ってわるいけど、クリュシッポスというのは、創始者のゼノン、第二代学頭クレアンテスに続く三代目の学頭だね。ストア哲学を体系的に完成させた第二の創始者といわれる。

山本 そうそう。彼らによれば、あらゆる生き物は自分の体質に適合したものを探し求める。自然は生きとし生けるものをそのようにつくったというわけだ。

吉川 そりゃそうだ。そうでなければ生き延びられず、子孫も残せなかったわけだから。ダーウィン的にも正しい。

山本 植物が花開き、動物がよろこびの声をあげるのも、そのようにしてだ。

吉川 ふむふむ。

山本 たとえば動物は、生まれ持った衝動(本能)に従って、獲物を追いかけたり交尾したりする。

吉川 植物の場合には、動物のように動きまわったりはしないけど、日光に向かって伸びたり、水分を求めて根を張ったりするだろうね。では、人間はどうだろう?

山本 人間には、植物的なところや動物的なところもあるけれど、それに加えて理性(ロゴス)も授けられている。

吉川 なるほど。そうすると人間の場合、理性に従って生きることが、自然と一致して生きるということになる。

山本 そう。そして、衝動によってではなく理性によって判断し行動する人を、われわれは「徳のある人」と呼ぶ。

吉川 待っているだけの人や、衝動的に動くだけの人ではなく。

山本 そういうわけで、「自然と一致して生きる」というのは、ストア的な意味においては、理性によって判断し行動することであり、つまり徳のある生き方をすることだということになる。

吉川 なるほど。エピクテトス先生がわれわれの理性的能力を重視することの背景には、ストア哲学のこうした伝統があるわけだ。

山本 うん。でもまだスローガンを検討しただけ。次回からはストア哲学の体系に分け入っていこう。

 

1──ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』(中)加来彰俊訳、岩波文庫、274-275

2――「自然と一致して生きる」という表現のうち「一致する」と訳されているのは、ギリシア語で「ホモログーメノース(μολογουμένως)」という言葉。これは「同じ一つの言語で話す(ホモ+ロゲオー)」という動詞に由来する語で、ここから「一致する」「適合する」という意味になる。