■ ストア学徒エピクテトス
山本 前回で「哲学の訓練」の項が終わりました。
吉川 エピクテトス先生のブートキャンプ、なかなかしんどかったね。
山本 都合四回もやったからね。
吉川 今回からはラクできるかな?
山本 ここで止めるとリバウンドしちゃう。
吉川 ダイエットか。
山本 言い得て妙かも(笑)。余計なことを空想して余計な心配や不安を抱かないための訓練でもあるからね。
吉川 そうだね、嘘か真かわからない断片的情報を目にして、空想が膨らみがちだけど、そうならないようにするわけだから。
山本 というわけで、哲学の訓練、つまり心像を正しく用いる訓練も、継続あるのみ!
吉川 そうだった。「ひとつの基準、たくさんの練習」だね。
山本 うん。基準というのは、権内(意志内)のものか権外(意志外)のものかという区別。で、練習というのは、その基準でできるだけたくさんの心像を吟味してみること。
吉川 意識して繰り返すことで、やがてどんな場面でも自然に検討できるようになる。
山本 精神衛生のためにもぜひ身につけたい。
吉川 それと、前回はラインホールド・ニーバー先生とヴィクトール・フランクル先生にもご登場願った。
山本 「静穏の祈り」と「コペルニクス的転回」ね。
吉川 たいへんストア的な、座右の銘にしたい言葉だった。
山本 ついでにエピクテトス先生の言葉ももうひとつ紹介しておこうか。
人々を不安にするものは事柄ではなくして、事柄に関する考えである。(★1)
吉川 おお、これはまた先生の思想を端的に表しているね。
山本 3人の先人たちの言葉を胸に、これからも哲学の訓練に励んでいこうではないか。
吉川 おう!
山本 さて、今回からはエピクテトス先生の哲学的ルーツを探っていこう。
吉川 2000年以上にわたって受け継がれているストア派の魂を。
山本 そう。先生の生いたちや経歴については連載の最初のほうで紹介したから、こんどはエピクテトス哲学のバックボーンであるストア派の考えを少し体系的に学んでみようか。
吉川 そうしよう。
■ 柱廊の哲学
吉川 そもそもストア派の「ストア」ってなんだろう?
山本 ストアというのは古典ギリシャ語で「柱廊」という意味。
吉川 柱が並んで廊下みたいになっている場所ということ?
山本 そうそう。当時のアテナイのアゴラ(広場)を囲む一辺に「彩色柱廊」(ストア・ポイキレ)というのがあって、そこに戦争画や戦利品などが飾ってあったそうだよ。
吉川 へえ。で、それが哲学となんの関係があるんだろう?
山本 当時は学園の所在地の名をとって学派を名づける習慣があってね。ほら、プラトンのリュケイオン学派しかり、アリストテレスのアカデメイア学派しかり。
吉川 ふむふむ。ということは、ストア派の人びとは彩色柱廊で活動したと?
山本 そう。創始者のゼノンがそこで講義をしたから、ゼノンの徒が「ストア派」と呼ばれるようになった。
吉川 それにしても、なぜに廊下……。
山本 古代の哲学者たちについての愉快な伝記を残した3世紀の哲学史家ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』によれば、なによりも静かな場所で講義をしたかったから、ということらしい。(★2)
吉川 ほう。
山本 柱廊は、ペロポネソス戦争敗北後の恐怖政治の時代に1500人もの市民が虐殺されたところで、実際、静かな場所だったとか。
吉川 ひえええ。
山本 もっとも、後の研究によれば、この柱廊で死刑の宣告がなされたという意味であって、まさにそこで人が殺されたわけではないらしい。
吉川 安心していいんだかどうだかよくわからないけど。
山本 それはそれとして、ポイントは、それがアテナイの中央にある公共の場所だったということだね。
吉川 講義が万人に開かれていたということだ。
山本 うん。それだけじゃなくて、そこに集う生徒たちからも授業料を受け取らなかったといわれているよ。
吉川 お金持ちの子弟からの授業料で生計を立てていたソフィストたちとは違うんだね。
山本 名士との交友を避けて、非常に質素な生活を送っていたらしい。
吉川 そういえばエピクテトス先生もそうだったようだね。ちなみに、このゼノンという人もそうとうの変わり者だったとか。
山本 そうそう。哲学者にはいつだって変わり者が多いけれど。なんでも、ある日学園を出たところで転んで足の指を折ってしまったそうなんだよね。
吉川 ほう。
山本 そしたら、大地を拳で叩きながら、「いま行くところだ、どうしてそう、わたしを呼び立てるのか」と劇の台詞を口にして、そのまま自分の息の根を止めて死んでしまったとのこと。
吉川 大丈夫か。というか大丈夫じゃないね。
山本 このゼノンの最期にもストア派的なところがある、というか、いかにもストア派の創始者にふさわしいエピソードとして創作されたものなのかもしれないけど。
吉川 どこがストア派的なんだろう?
山本 次回、その辺りから考えていこうか。
★1──エピクテートス『人生談義』(下)鹿野治助訳、岩波文庫、255頁
★2──ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』(中)加来彰俊訳、岩波文庫、209頁