■ これまでのおさらい
山本 前回まで、エピクテトス哲学のバックボーンであるストア派の哲学――論理学、自然学、倫理学――を学んできました。
吉川 いやあ、たいへんだった。
山本 それで今回から、いよいよというか、エピクテトス先生の哲学を現代的にアップデートしてみようという話になったんだったね。
吉川 うん。そうはいっても古代の話だけに、そのまま我々の時代に役立つのかという疑問はあるからね。
山本 そうそう。で、その前に、改めてエピクテトス先生の哲学について、簡単におさらいしておこうか。
吉川 そうだね。ストア派の解説が長かったから、正直ちょっと忘れているところもありそう。
山本 じゃあ、エピクテトス先生の教えで、いちばん大事なポイントはなんだろう?
吉川 それはズバリ、我々の「権内にあるもの」と「権外にあるもの」を区別することだね。
山本 お、覚えているね。
吉川 インパクトあるからね。
山本 ここで権内にあるものとは、自分でコントロールできるもの。権外にあるものとは、自分ではコントロールできないもの。
吉川 自分の力でどうにかできることと、どうにもできないことを区別しようということだ。
山本 そして、自分ではコントロールできないこと、つまりどうにもならないことを気に病むのはやめて、どうにかできることに注力しようと。
吉川 この世の悩みの多くは、権内にあるものと権外にあるものの区別の混乱にある、そう先生は言っている。
山本 どうにもならないことをどうにかしようとして四苦八苦したり、どうにもならないことをいつまでも悔やんでしまったりするんだよね。
吉川 野球選手の松井秀喜が言ったように、打てないボールは打たなくていい。無理してバットを振り回しても不幸になるだけだと。
山本 まったく耳に痛い指摘だね。つい打てないボールにも手を出しちゃう。
吉川 では、我々の権内にあるものとは、いったいなんだろう?
山本 それこそ、我々が生まれながらにしてもっている、理性的能力!
吉川 それが我々の権内にある唯一の能力だと、エピクテトス先生は言っている。じゃあ、どうすれば我々は理性的能力を発揮できるんだろう?
山本 それこそがストア哲学の核心だよね。
吉川 ストア派の哲学者たちは、論理的に思考し(論理学)、正しく自然を認識したうえで(自然学)、よく生きること(倫理学)が大事だと言っていた。
山本 そう、エピクテトス先生の講義は倫理的な問題にかんする話題が多いけれど、その基礎にはストア派の論理学と自然学があった。
吉川 自然(神)が人間に与えた理性によって、論理的に思考と言葉を用い、自然を正しく認識し、そのうえで自分にできる役割をはたしていく、というわけだね。
山本 エピクテトス先生が教える権内/権外の区別も、ストア的な論理学と自然学があってこそのもの。そしてそれが「自然と一致して生きる」ということになる。
■ 古代ローマから現代日本へ
吉川 とはいえ、エピクテトス先生の時代と我々の時代とでは、変わらないこともあるけれど、変わったこともずいぶんあるよね。
山本 うん。たとえ権内にあるものと権外にあるものを区別すべし、という格率は変わらないとしても、人間を取り囲む環境はずいぶん違う。
吉川 なにしろ、エピクテトス先生が生きたのはローマ帝国の暗帝ネロの時代だもんね。
山本 学問の内容もずいぶん違うよね。幾度かの科学革命を経て、サイエンスやテクノロジーはエピクテトス先生の時代から考えるとまるで別物になっている。
吉川 これまで治せなかった病気が治るようになったり、行けなかった場所に行けるようになったり、出会うことができなかった人とも出会えるようになっている。
山本 権内にあるものと権外にあるものの間の境界線が、エピクテトス先生の時代とはかなり違うようだ。
吉川 他方で、にもかかわらず人間関係についての悩みのように、変わらなそうなものもあるし。
山本 是々非々で見ていく必要があるだろうね。
吉川 うん、たいへんそうだけど、ここで踏ん張らねば。
山本 今回はちょっとおさらいが長くなっちゃったけど、次回は、エピクテトス哲学のアップデートにとりかかろう。