■ ポスト・トゥルース時代の心像
吉川 ここ何回か、エピクテトス先生のいう「心像」について話しています。
山本 そうそう。「心像」というのは、わたしたちが抱く印象、心に浮かぶ像を広く指す言葉だったね。文字通りといえば文字通り。
吉川 で、その「心像の正しい使用」こそ、わたしたちの権内にある唯一の能力だ、エピクテトス先生はこうおっしゃる。
山本 逆にいえば、心像以外のこと、つまり外界の事物は、われわれの権内にはない。たとえば財産や名声、あるいはわれわれ自身の身体でさえも、権外のものということになる。
吉川 ちょっと極端な主張にも聞こえるよね。でも、人間関係とか、楽器やスポーツの訓練、それに病気のことなんかを考えたら、確かにこれらすべて、自分の思うままにはならない。
山本 思うままになれば苦労はしないよね。
吉川 ところで、この「心像の正しい使用」というのは、もう少し詳しくいえば、「意欲と拒否、欲求と忌避」の能力ということだったね。
山本 うん。なにをしようと欲し、なにをしないでおくか。あるいは、なにを求め、なにを避けるか。心像の正しい使用とは、この区別を適切に行うことにほかならないと。
吉川 シンプルで力強い教えだよね。確かに先生のおっしゃるとおりだ。求めるべきものを求め、避けるべきものを避けることができたら、そりゃすばらしい。でも実際には……。
山本 われわれはずいぶん複雑な世界に生きていて、それゆえに、われわれが抱く心像もじつに多種多様であって……。
吉川 心像を正しく使用するどころか、なんだかよくわからないまま諸々の心像に振り回されている感がなきにしもあらずであり……。
山本 とくに最近は、ポスト・トゥルースなんていう言葉が流行語になるくらいで、われわれは虚実入り混じった多量の情報にさらされている。こうしているいまも。
吉川 それに、エコーチェンバーとかフィルターバブルと呼ばれる現象も注目を集めているよね。知らず知らずのうちに自分に都合のよい情報ばかりを選択的に浴びているなんて可能性もある。
山本 自分がたこつぼ(なんらかの専門や組織)の中にいることを忘れて、たこつぼの外でなら馬鹿馬鹿しく思えるような判断の失敗をしてしまったり、気づかないうちにネットの検索結果がアルゴリズム(プログラム)によって調整されていたりする。そうなると、外界の情報どころか、自分のことも信用できなくなってくるよね。
吉川 まったくね。自分自身の心像といかにしてつきあっていけばよいのか、これがいまほど難しい時代はないかもしれない。
■ 心像と戦え!?
山本 エピクテトス先生は、そんなわれわれの苦境を見越していたかのような話をしてくれているよ。
吉川 ほうほう。
山本 『語録』第3巻第6章の、その名も「心像にたいして、いかに戦うべきか」がその箇所。(★1)
吉川 なるほど。エコーチェンバーやフィルターバブルと戦いなさいと。
山本 うん。考えてみれば、ネットやSNSはなくとも、こうした問題は大昔からあっただろうからね。
吉川 プラトンが『国家』で描いた洞窟の比喩なんかも、いまになって思えば、ポスト・トゥルース論のはしりかもね。(★2)
山本 そうそう。洞窟で壁に映る影だけを見て暮らす人がいるとしたら、彼らは影を実体そのものだと誤認する。さらに人びとの声が洞窟内で反響して、その思い込みは確信になる。
吉川 まさにエコーチェンバー(反響室)だ。
山本 メディアの発達程度や情報量の多寡にかかわらず、これは普遍的で本質的な問題だということなんだろうね。
吉川 それで、エピクテトス先生はなんて言っているんだろう。
山本 先生はこう言っているよ。
まずその激しさにさらわれるな。むしろ「心像よ、ちょっと待ってくれ給え。お前は何なのか、何についての心像なのか見させてくれ給え、君をしらべさせてくれ給え」というがいい。(★3)
吉川 まずはいったん立ち止まれと。
山本 うん。そして、自分に現れた心像がいったいどんなものなのか、よく吟味すべしというわけ。
吉川 なるほど。戦うといっても、取っ組み合いのケンカをせよというわけではないのだね。
山本 そもそも人間は心像に激しく心を乱されるものだという認識がエピクテトス先生にはあるんだね。
吉川 なにかを目にしたり話を聞いたりして、怒りが湧いたり驚いたりすることがあるよね。
山本 自分でそうしようと考えて怒ったり驚いたりするというよりは、ほとんど反射的にそういう状態になると言ったほうが近いくらいだよね。
吉川 だからこそ、いったん退いておのれの心像をよく吟味せよというわけか。
山本 激しい感情を喚起する諸々の心像に自分を委ねてしまったら、それこそフェイクニュースの思う壺だもんね。
吉川 確かに、多くのフェイクニュースはわれわれの怒りや憎しみといった激しい感情を喚起するようにうまくつくられている。
山本 もうちょっと強く、つけ込んでいると言ってもよいかもだね。
吉川 じゃあ、そのように現れた心像を、どんなふうに吟味すればいいんだろうか?
★1――エピクテートス『人生談義(上)』(鹿野治助訳、岩波文庫、1958)、198‐202ページ
★2――プラトン『国家(下)』(藤沢令夫訳、岩波文庫、1979)、94‐103ページ
★3――エピクテートス『人生談義(上)』(鹿野治助訳、岩波文庫、1958)、201ページ