人生がときめく知の技法

最終回 エピクテトス先生をアップデートする(その四)

「楽しくも苦しくもある現代社会で、いかに幸せに、そしてよく生きていくことができるか?」という一大テーマを掲げて始まった本連載も、今回で最終回。賢人エピクテトス先生の知恵を、著者のお二人にあの手この手で紹介していただきましたが、いかがでしたでしょうか? そう遠くないうちに、本連載をさらにバージョンアップさせた単行本が刊行されますので、お楽しみに! ご愛読、ありがとうございました!

 

あらためて相談を考える

吉川 いよいよ最終回です。

山本 ぐるっとひとまわりしたところで、連載の最初のほうで紹介した読者からの相談をあらためてとりあげてみようか。

吉川 うん。アップデートされたエピクテトス哲学でどんなふうに答えられるか、考えてみよう。

山本 IT企業に勤めて6年目の30代の男性から、こんな相談が寄せられたのだった。仕事はできるほうで自信もあるけれど、年下の女性が自分の上司になったことが気に入らないと。

吉川 うん。とりたてて特殊な技能があるわけでもない上司にあれこれと指図される、それが耐えられないとのことだったね。

山本 それにたいして、降臨したエピクテトス先生の回答は、きわめてあっさりしたものだった。

吉川 まず、上司が女性だろうが男性だろうが年下だろうが年上だろうが関係ないと。

山本 会社組織では、マネージャーにはマネージャーの、プレーヤーにはプレーヤーの役割というものがあり、その役割をきちんとはたしているかどうかが問題だと。

吉川 もし彼がマネージャーを目指しているのでないなら──事実、いまの仕事には自信と誇りをもっているようだった──、なにより大事なことは彼自身のプレー内容なのだろうね。

山本 うん。おそらくそれが彼の権内にある第一のことだからね。そしてスタープレーヤーを目指せばいい。

吉川 もし、彼が自分の職分を存分にはたし、上司は上司でその職分を存分にはたすことになれば、これ以上によいことはないね。

山本 彼にはぜひスタープレーヤーを目指してほしいね。

吉川 とはいえ、上司がきちんとマネージャーの役割をはたしているかどうか、チェックするのはわるいことではない。

山本 本当にマネージメントがうまくいっていない可能性もなくはない。

吉川 開発の現場から「デスマーチ」というおそろしい言葉が聞こえてくることもあるくらいで。

山本 実際、そのぐらい苛酷な職場もあるというからね。ただし、エピクテトス先生は、この相談者の男が上司のマネージメント能力を適切に判断できるかどうかはまた別の話だ、となかなか手厳しかったけれど。

 

自分はどこにいるのか?

吉川 自分の権内にあるものと権外にあるものを区別し、権内にあるものにこそ注力しよう。これがエピクテトス先生の教えのエッセンスだよね。

山本 うん。

吉川 いまあらためて先生のレスポンスを思い出してみても、生じてきた問題にたいするスタンスというか心構えとしては、なんというか、もうこれ以上のことはいえない気がしてくるね。先生はえらい。

山本 そう、あとはそれをいかにして具体的に実践するかだ。

吉川 そこで、前回までおさらいしてきた社会状況や学問状況の変化を受けて、われわれにもなにか、さらに言葉を加えることはできるだろうか。

山本 そうだねえ。あるとすれば、われわれは先生の時代よりもずっと、自分の状態を精確に知るツール群に恵まれているわけだから、それを活かさない手はないだろうね。

吉川 というと?

山本 例えば昨今、諸学術で人間像にかんする再考が進んでいるでしょう。従来は理性に劣るもののように扱われてきた情動や感情の見直しとか、あるいはさまざまな認知バイアスにかんする知見とか。

吉川 理性的人間を前提とした議論から、思い込みや感情で動く人間像へのシフトだね。

山本 人間の心が備えている直観的判断と合理的思考という二つのしくみのうち、直観的判断は多くの場合ぱっとものごとを見分けるのに役立つけれど……

吉川 ある条件の下では系統的にエラーを起こす。思い違いをする。

山本 人間は、常に冷静かつ合理的にものごとを判断するというよりは、むしろ思い込みや偏見によって判断を下すことがある。

吉川 だから単に理性によって合理的に考えようというだけでは足りない。では、認知バイアスを備えた人間を前提として、それでもよりよい人間関係や社会を築くにはどうしたらよいかということが課題でもあるね。

山本 そう、例えばそんなふうに自分が、人間として持っている性質について理解したり意識したりすることで、完全とは言わないけれど、よりましな判断ができるチャンスも増えるかもしれない。

吉川 自分はどういう思い込み(認知バイアス)によって上司に不満を抱いているのか、と考えられたら単に不満を持つのとは違う考え方もできそうだ。ただ、言うのは簡単だけど難しいかもね。

山本 うん、トレーニングは必要だろうね。

 

権内を拡張するために

山本 話を広げると、学問や技術・芸術の進展によって、人類全体にとってできることとできないこと、分かることと分からないことの境界線も変化し続けているよね。

吉川 技術は分かりやすい例だ。ネットやスマートフォンの普及、AIスピーカーやドローンの活用、遺伝子編集など、それまでなかったものが登場することで、人にできることも大きく変わってきた。

山本 私のような極度の方向音痴でも、タブレットとGoogleマップのおかげで目的地にあまり迷わず辿りつける。

吉川 それでも迷うわけね(笑)。

山本 うん。それはともかく、繰り返せば、人類という規模で考えた場合、知識や技術によって、分かることと分からないこと、できることとできないことの境界は広がり続けている。

吉川 もはやその全貌は誰にも分からないとしても。

山本 そして大事なのは、そのうち自分が理解したり、使えたりする知識や技術次第で、個々の人に分かることと分からないこと、できることとできないことの境界も変化するというところ。

吉川 それで言うならコンピュータは典型例かも。

山本 そうそう。誰かがつくってくれたソフトを使えるのと、自分でも必要に応じてソフトをつくれるのとでは、同じコンピュータを手にしても「できること」がまったく違ってくる。ソフトをつくらないにしても、仕組みが分かるかどうかでも大きく違う。

吉川 さっきの例でいえば、認知心理学を学んで知っているか否かで人間像が違ってくる。そうなると、同じ出来事に遭遇しても対処の仕方も変わってくる可能性だってあるね。

山本 つまり、エピクテトス先生以降現在にいたるまで人類が発見し、つくり出してきた知識や技術をどの程度我が物にしているかによって、その人にとっての権内と権外もまた大きく変わるし、ポジティヴに言えば変えられるわけだ。

吉川 でも、どうしたらいいだろう。

山本 必要に応じて人類の知を使って自分の権内を広げる。そのための基礎を鍛える必要がありそうだね。

吉川 言うなれば、自分で自分を拡張するために必要な知のサヴァイヴァルキットを備えようというわけだ。

山本 かつて「教養」とか「リベラルアーツ」と呼ばれていたものは、本来そうした基礎になるものだったと思う。

吉川 そう考えると、まずはいまの自分が備えている知や技術の現状を棚卸しして、不足がないかを点検するところから始めるのがよさそうだね。

山本 言い換えればそれは、いまの自分の権内の範囲を確認することでもある。

吉川 汝自身(権内)を知れ。そして拡張せよ。

山本 ただし、世界(権外)を知らねば自分のことも分からず、拡張もおぼつかない。

吉川 というわけで、30回にわたって話し合ってきたこの連載もここでおしまいにしようか。

山本 お読みいただきありがとうございました。機会があったら、またどこかでお目にかかりましょう。ご機嫌よう。

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