人生がときめく知の技法

第4回 「ヤバい時でも平時でも、やるべきことは決まってる」の教え

 

もっとも根本的で忘れてはならないこと

山本 前回は、生徒さんの「なんで私が斬首に?」という相談に、エピクテトス先生が「じゃあ、みんなが首を切られたらいいと思うのか?」と答えたという話を紹介しました。

吉川 驚きの回答。はたしてその真意やいかに? これが今回のテーマかな。

山本 うん。エピクテトスがあんな回答をしたのは、首を心配する前に考えなきゃいけないことがあるんじゃないかということを相談者に思い起こさせたかったからなんだよね。

吉川 ふむふむ。なんだろう?

山本 それはズバリ、我々の「権内にあるもの」と「権外にあるもの」の区別。これこそ、哲学をこころざす者にとって、いや、どんな人間にとっても、いちばん根本的で、決して忘れてはならないことだとエピクテトスは言う(★1)

吉川 権内と権外? ちょっと聞き慣れない言葉だよね。どういうことだろう。

山本 権内にあるものとは、自分でコントロールできるもの。権外にあるものとは、自分ではコントロールできないもの。両者の違いは、自分でコントロールできるかどうか。

吉川 なるほど。自分の力でどうにかできることと、どうにもできないことの間の区別だね。なんでこの区別がそんなに重要なんだろうか?

山本 それには、いわば消極的な理由と積極的な理由がある。まずは消極的な理由からいこうか。

吉川 うん。

山本 それは、我々の思い悩みの多くが、この区別に対する混乱から生じているから。つまり、我々は往々にして、自分でどうにかできることには目を向けないで、どうにもできないことにかかずらってしまうということ。

吉川 できることをろくにしないくせに、できないことばかり思い描いているじゃないか、というわけだね。耳に痛い。練習もしないくせに試合には勝ちたいと思っている、みたいな状態かな。

山本 うん。それがエピクテトスの診断。彼はこうした状態を、イライラして心の安まらない船の乗客にたとえているよ。

吉川 ふむふむ。

山本 西風が吹けば船が進むのに、北風ばかりが吹いているとする。すると乗客は「いつ西風が吹くだろうか」とやきもきするよね。

吉川 気持ちはわかる。

山本 でも、人間は風の管理者じゃない。風を管理しているのはアイオロス(風の神)だから。乗客にできることといえば、せいぜい楽しい話でもしながら西風が吹くのを待つことくらいだよね。

吉川 なるほど。どうにかできることならまだしも、どうにもできないことを嘆いても仕方がないじゃないか、というわけだ。身も蓋もないけど、たしかにそうかもね。

 

白旗を掲げるその前に

山本 首を切られる話に戻ろうか。もしあの生徒が本当に刑場に引き立てられていく最中だったとしたら、先生にそんな質問をしても仕方がないよね。

吉川 そもそも相談なんかしている場合ではない。そこまで事態が進んでしまえば、もう逆転のチャンスもないだろうし。

山本 そのときに彼の権内にあることは、最期のときを心安らかに、また誇り高く迎えることだけだ、エピクテトスならそう断言するはず。ちょっと酷薄に響くかもしれないけど、かつて奴隷であった彼は現実の苛酷さと理不尽さをよく知っていたから。

吉川 そういえばエピクテトスは、ネロの命令によって処刑された元老院議員ラテラーヌスの話をしているね。ラテラーヌスは斬首される際、斬撃が弱かったのでいったん首を縮めたけれども、また黙って首を出したって。

山本 うん。さいわいにして我々は普通そこまでは追い詰められないよね。少なくとも、どんな生き方が望ましいかを、こうやって考えることのできる境遇にある。

吉川 たしかに、この僥倖を活かさない手はないよね。だからこそエピクテトスも、なにを本当に考えなければならないかという方向に思考を誘う修辞疑問で答えたのかもしれない。

山本 きみの権内にあることとはなにか、そして権外にあることはなにか? よく考えてみてくれ。幸いにして君はいまそれを考えられる状態にあるのだから、と。

吉川 そうだとすると、「どうして私がクビにならなくてはならないのですか?」「どうして私がフラれなれればならないのですか?」という相談にたいしても、エピクテトスはきっと同じように答えるだろうね。

山本 「じゃあ、みんながクビになったらいいと思うのか?」「みんながフられたらいいと思うのか?」って。

吉川 実際にクビになってしまってからでは、またフられてしまってからでは、刑場に連れられていく囚人と同じように、もはや事態を従容と受け入れるしかない。でも、その前に自分で考えること、やることはいくらでもあるではないか、と。

山本 うん。中国の故事にある「人事を尽くして天命を待つ」に似たところがあるね。

 

「権内にあるもの」と「権外にあるもの」を見極めよ

吉川 さらには、こうも考えられないかな。ある意味では、我々もまた刑場に引き立てられる囚人と同じなんじゃないかって。

山本 生きるとは、恐怖政治のローマにおいても高度資本主義社会の日本においても、死へと向かう道であることに変わりはない。

吉川 先に名前のあがったセネカは、「生涯をかけて学ぶべきことは死ぬことである」という言葉をのこしているね。

山本 結局のところ、我々にできる最善のことは、たとえ刑場に引き立てられようとも、心安らかに誇りをもって生きること、それだけなのかもしれない。

吉川 死とか言いだすとなんだか悲観的に聞こえるかもしれないけれど……べつにエピクテトスは世をはかなんでこういう答え方をしたわけではないよね。

山本 うん。どんな状況におかれていても我々が考えなければならないことは決まっているよ、ということを言いたかったんだろうね。

吉川 死に直面するという極限状況をあえて設定することで、それをより明瞭に示したかったわけだ。

山本 豊かだろうが貧しかろうが、環境に恵まれていようが恵まれていなかろうが、我々がすべきことは決まっている。それは、権内にあるものと権外にあるものを区別することだ、と。

吉川 両者の区別ができないから、我々は要らぬ悩みにさいなまれるのだ、と。

 

★1――「権内」「権外」とは、見慣れない言葉かもしれません。「権内」は、権利や権力、権限が及ぶ範囲内というほどの意味です。「権外」はその外のこと。「権内」は、原語である古典ギリシア語ではἐφ᾽ ἡμῖν(エピ・ヘーミン)と書きます。「ヘーミン(ἡμῖν)」は「私」を意味する人称代名詞の一人称複数与格、「私たち」。「エピ(ἐφ᾽)」は与格とセットで「~にできる」「~の支配下にある」「~の力が及ぶ」といった意味になります。つまり、「私たちの力が及ぶこと」というほどの意味です。「権外」のほうは、このエピ・ヘーミンに否定の「οὐκ(ウーク)」がついた形。「私たちの力が及ばないこと」というわけです。これを漢語で圧縮するなら「権内」「権外」という次第。見事な訳だと思います。

 

 

 

 

 

 

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