シャッターを押すのは一瞬でも、その背後には膨大な時間と物語がある。被写体となったひとにも、シャッターを押す鬼海弘雄さんにも、写真を眺める私たちにも。切り取った「一瞬」に、過去と現在と未来を含んだ永遠とも言える時間を封じこめる。それが「写真」なのだと、鬼海さんの作品を見るたびに感じる。
鬼海さんの写真集を手にすると、すべてのページをめくり終えるまでにものすごく時間がかかる。一枚の写真をいつまでだって眺めていられるし、何度眺めても新たな発見があって楽しいし、さらに絶妙のキャプションがあいまって、「画面から見切れてるけど、このひとのズボンはどんだけ細いんだろうなあ」などと想像を喚起されるからだ。写真に封印された時間と物語に触発されて、写っているそれぞれのひとたちと、じっくりと対話している気持ちになる。
その瞬間、鬼海さんの存在はすーっと消える。これだけ強く、静かだけれど鮮烈な写真を撮ったひとなのに、鬼海さん自身の主張は声高には聞こえてこない。ただ、被写体となった人々を受け止め、その写真を眺める我々の視線をも受け入れて、後景となってじっと息をひそめている。もしかしたら鬼海さんは、これらの写真に写る背景の「壁」なのかもしれない。委ねられるがまま、黙って受け止め、ひとを、街を、見つめつづけている。多くのひとが見過ごし、あるいは無視してしまう存在を注視しつづけ、「ここにたしかに、生きているひとたちがいる」と壁は静かに叫んでいる。モノクロームの写真にもかかわらず、なぜだか壁の色を推測できる。それはたぶん赤い色をしている。情熱の色、血の色だ。
鬼海さんの『PERSONA』シリーズを見てきたひとにとって、今回の『PERSONA最終章』は特に感慨深く、胸に迫る写真集となるはずだ。これまでのシリーズにも登場したなつかしい人々と再会できる。三十年以上にわたって、浅草を行き交う人々に声をかけ、写真を撮りつづけてきた鬼海さん。なかにはおなじみとなって、何度も被写体になったひともいて、かれらの過ごした歳月が克明に記録されている。刻まれていく皺や、深みを増す表情の陰影や、何年経っても変わらぬどころか先鋭化していくファンキーなファッションセンスなど、すべてが愛おしい。
同時に、今回はじめて『PERSONA』シリーズを手に取るというかたにとっても、この写真集は瞠目の一冊となるだろう。ここに収められているのは、二〇〇五年から二〇一八年に撮られた写真なのだが、「終戦直後に撮りました」と言われても、「二〇九五年に撮りました」と言われても、「なるほど」と納得してしまいそうなほど、時空を超越した力に満ちている。
テレビや雑誌を見れば、美人やイケメンにあふれている。けれど美の基準は、「目鼻立ちが整っている」という表層的なものだけではないのだ。『PERSONA最終章』を見ると、そのあたりまえの事実が改めて迫ってくるようで、圧倒される。
被写体となったひとたちはみな、自由かつ独自の美意識で選び取った服を纏い、生きてきた時間と意思を身体に宿して、とてつもなくうつくしい。ひとだけでなく、ともに写る動物までもが生き生きとした表情をしてうつくしい。個々の存在が備える峻厳なまでのさびしさと、しかし脈打つ身体が宿すたしかなぬくもりと、そこはかとなき信頼とユーモアが伝わってくる。
『PERSONA最終章』を眺めるだれもが、いつかどこかで出会ったなつかしいひとの姿を、そして自分自身の姿をも、写真のなかに見いだすだろう。生きて死ぬ。地球上で延々と繰り返されつづける営みが、どれひとつとして同じ形をしておらず、けれどなつかしく愛おしい「あなた」の、「私」の、「私たち」の生と死なのだということを、鬼海弘雄さんの写真は静かに激しく表している。
※「PERSONA最終章」特設ページでも写真をご覧いただけます。 こちらからどうぞ!
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