PERSONA最終章

静かに叫ぶ壁

写真家・鬼海弘雄は、45年間、浅草・浅草寺境内で市井の人のポートレイトを撮り続けてきた。一連の作品はいつしか「PERSONA」と称されるようになり、鬼海の浅草ポートレートの代名詞になっている。名も知らぬ人びとの肖像になぜ魅せられてしまうのか。2003年の第1集から15年、浅草ポートレイトの完結篇とも言える写真集『PERSONA最終章』刊行を記念して、三浦しをんさんにその魅力について綴っていただきました。

 シャッターを押すのは一瞬でも、その背後には膨大な時間と物語がある。被写体となったひとにも、シャッターを押す鬼海弘雄さんにも、写真を眺める私たちにも。切り取った「一瞬」に、過去と現在と未来を含んだ永遠とも言える時間を封じこめる。それが「写真」なのだと、鬼海さんの作品を見るたびに感じる。
 鬼海さんの写真集を手にすると、すべてのページをめくり終えるまでにものすごく時間がかかる。一枚の写真をいつまでだって眺めていられるし、何度眺めても新たな発見があって楽しいし、さらに絶妙のキャプションがあいまって、「画面から見切れてるけど、このひとのズボンはどんだけ細いんだろうなあ」などと想像を喚起されるからだ。写真に封印された時間と物語に触発されて、写っているそれぞれのひとたちと、じっくりと対話している気持ちになる。

細身のズボンの男 2012

 その瞬間、鬼海さんの存在はすーっと消える。これだけ強く、静かだけれど鮮烈な写真を撮ったひとなのに、鬼海さん自身の主張は声高には聞こえてこない。ただ、被写体となった人々を受け止め、その写真を眺める我々の視線をも受け入れて、後景となってじっと息をひそめている。もしかしたら鬼海さんは、これらの写真に写る背景の「壁」なのかもしれない。委ねられるがまま、黙って受け止め、ひとを、街を、見つめつづけている。多くのひとが見過ごし、あるいは無視してしまう存在を注視しつづけ、「ここにたしかに、生きているひとたちがいる」と壁は静かに叫んでいる。モノクロームの写真にもかかわらず、なぜだか壁の色を推測できる。それはたぶん赤い色をしている。情熱の色、血の色だ。
 鬼海さんの『PERSONA』シリーズを見てきたひとにとって、今回の『PERSONA最終章』は特に感慨深く、胸に迫る写真集となるはずだ。これまでのシリーズにも登場したなつかしい人々と再会できる。三十年以上にわたって、浅草を行き交う人々に声をかけ、写真を撮りつづけてきた鬼海さん。なかにはおなじみとなって、何度も被写体になったひともいて、かれらの過ごした歳月が克明に記録されている。刻まれていく皺や、深みを増す表情の陰影や、何年経っても変わらぬどころか先鋭化していくファンキーなファッションセンスなど、すべてが愛おしい。
 同時に、今回はじめて『PERSONA』シリーズを手に取るというかたにとっても、この写真集は瞠目の一冊となるだろう。ここに収められているのは、二〇〇五年から二〇一八年に撮られた写真なのだが、「終戦直後に撮りました」と言われても、「二〇九五年に撮りました」と言われても、「なるほど」と納得してしまいそうなほど、時空を超越した力に満ちている。
 テレビや雑誌を見れば、美人やイケメンにあふれている。けれど美の基準は、「目鼻立ちが整っている」という表層的なものだけではないのだ。『PERSONA最終章』を見ると、そのあたりまえの事実が改めて迫ってくるようで、圧倒される。
 被写体となったひとたちはみな、自由かつ独自の美意識で選び取った服を纏い、生きてきた時間と意思を身体に宿して、とてつもなくうつくしい。ひとだけでなく、ともに写る動物までもが生き生きとした表情をしてうつくしい。個々の存在が備える峻厳なまでのさびしさと、しかし脈打つ身体が宿すたしかなぬくもりと、そこはかとなき信頼とユーモアが伝わってくる。
『PERSONA最終章』を眺めるだれもが、いつかどこかで出会ったなつかしいひとの姿を、そして自分自身の姿をも、写真のなかに見いだすだろう。生きて死ぬ。地球上で延々と繰り返されつづける営みが、どれひとつとして同じ形をしておらず、けれどなつかしく愛おしい「あなた」の、「私」の、「私たち」の生と死なのだということを、鬼海弘雄さんの写真は静かに激しく表している。

右肩だけが凝るとわらう人 2008

 

※「PERSONA最終章」特設ページでも写真をご覧いただけます。 こちらからどうぞ!

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※「PERSONA」世界の魅力を語る──鬼海弘雄 × 堀江敏幸による刊行記念トークイベントを4月21日(日)青山ブックセンター本店にて開催します。 お申し込みはこちら

2019年3月22日更新

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三浦 しをん(みうら しをん)

三浦 しをん

1976年東京生まれ。2000年、『格闘する者に◯』でデビュー。06年、『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞受賞。12年、『舟を編む』で本屋大賞受賞。15年、『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞受賞、18年、『ののはな通信』で島清恋愛文学賞受賞。
小説に、『月魚』『秘密の花園』『風が強く吹いている』『星間商事株式会社社史編纂室』『神去なあなあ日常』、エッセイに、『あやつられ文楽鑑賞』『お友だちからお願いします』など、著書多数。近著に『愛なき世界』『皇室、小説、ふらふら鉄道のこと』(原武史氏と共著)がある。

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