脇田玲

第4回:アート&サイエンスのラボを作ってみた話

いま「ラボ」や「リサーチ」を冠した組織が、アフターインターネット時代のビジョンを作りあげつつある。彼らはスピード感と軽やかさを武器に、新しい技術の可能性を社会に問い続けているのだ。ラボやリサーチをイノベーションの駆動力とする「ラボドリブン社会」とはどのようなものか。ビジネスからアートまで、最先端の現場からラボの新しい姿を解き明かす。

分析や評論ばかりで自身の行動がともなわない。大学教員への世間のイメージはそんなところではないだろうか。自分が学生の頃、教員というのは偉そうなだけで説得力がないものだと見下していたが、まさか自分がその立場になるとは思いもよらなかった。ただの偉そうな大学教員になっては忍びないということで、ラボドリブン社会の姿を模索するべく、実際にラボという組織を共同で設立し、運営してみることにした。

私はすでに大学で研究室を持っているので、それとは異なる試みを実践することにした。慶應大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の私の研究室は情報技術に基づく新しい表現の研究と教育の場であり、個人の作業を重視する密教的な場所だ。そこで、新しく設立したラボは、アートと社会の新しい接点を開拓するオープンな場所とすることにした。

 

「アート&サイエンス」とは何か

多くの人にとってアートは生活から程遠いものと考えられているが、実は私たちが幸せに暮らし、納得して死ぬために必須のものなのだ。そのような個人や社会と密接に関わるアートのあり方を模索することがラボを設立した目的だ。

現代アートは難解になりすぎて、普通の人がすぐに手を出せる存在ではない。中には僅かではあるが、手法や素材も古典的で、現代アートというよりも前代アートと言った方が適切だとさえ思わせる事例さえも存在する。もちろん大部分の現代アートは今でもパワフルで素晴らしいものだが、現代アートというからには2010年代の今だからこそ存在しうるアートの姿も模索するべきだろう。

一方で、最近注目を集めているライゾマティクスやチームラボは、現代の技術を駆使しつつ、時代の意識を反映した、子供から大人まで楽しめる間口の広いアートを作り出した。アート&テクノロジーと呼ばれるこれらの世界には可能性がある。一方で、触ると反応するという単純な仕組みは脊髄反射的な楽しみしか誘発できず、作品が瞬間で消費されてしまうのもまた事実である。

このような中で世界的に注目を集めているのがアート&サイエンスだ。日本語にすると「芸術と科学」になるので、大学の一般教養科目にありそうな言葉になってしまうが、実際の中身はもっと深い。その一つめのあり方 は、「分断化された領域の再結合」による新たな創造とでもいうものだ。アートもサイエンスも共に人間の精神活動から生まれるものであるが、人間はそれらを別の行為として分けて深化させてきた。サイエンスに至っては膨大な細分化と高度化が進んでいる。アート&サイエンスは、これらの細分化された領域を再融合することで新しい創造を促す。例えば、バイオアートと呼ばれる試みは、分子生物学や合成生物学のツールとマテリアルを使って作品を作り出している。作品は生命倫理、機械と人間の境界線、家系の概念、身体の意味など様々な問題を提起する。

アート&サイエンスの二つめのあり方は、「最新の科学の知見にアクセスするための窓」としてアートを用いることだ。科学とは人間が作り出した世界の見方である。メートルや光年といった単位は人間が世界を理解するために作り出したものであって、それがもともと自然に用意されていたわけではない。密度、圧力といった量も同様だ。このような基本的な世界の見方を基礎として、膨大な研究が蓄積され、それらは全て論文という形でインターネットからアクセスできる。しかし、普通の人にとってそれらは到底理解できるものではなく、よく分からない難しい数式と文章の集まりにしか見えない。これはとてももったいないことだ。人間が作り出してきた「この世の中の見方」に世界中の人々がアクセスできるようにするために、アートは有効な媒介物になりうる。アート&サイエンスの作品の多くは、科学の知見や思考に基づいているため、普通の人が作品の鑑賞を通して、科学に接する機会を提供することができる。

三つめのあり方は、アーティストとサイエンティストが相互に刺激しあう場の創造だ。アーティストと科学者は全く異なる作業をする職能だと思われがちだが、案外類似点が多い。一般に、アーティストは普通の人とは異なる世界の見方をしている。自分なりに世界のあり方を悟っているといってもよい。科学者の場合、例えば物理や数学の最先端の世界になると、それはもはや世界に数人しか理解できない領域というものが存在する。数人の科学者の主観や直観とでもいうべきものが学術を作り出しているのだ。そうなるとアーティストと科学者は極めて類似した作業をしていると考えられなくもない。バックミンスター・フラーとイサム・ノグチの交流がお互いの創作に刺激を与え合ったことはよく知られている。

 

アート&テクノロジーからアート&サイエンスへ

アートとテクノロジーは共に異なる種類の技術を指す言葉、つまりアルスとテクネーであった訳で、両者が合わさることでより広い意味での技術が成立することになった。それがここ数年のアート&テクノロジーの試みと言える。ただ、多くの作品は一つに統合された広い意味での技術として成立してしまっているので、瞬間で理解され、消費されてしまうことが多い。アート&テクノロジーの作品は短いものであれば数秒で消費されてしまう。

ここにサイエンスの知見が加わることで、ある種の深さが生まれるように思う。例えば、数万光年という時間(と空間)を考えさせるアートがあれば、今自分がここに存在していることの不思議さを感じずにはいられないだろう。100年後の人々も今とほとんど変わらない星雲を見ているのだ。なぜなら、光年という時間に比べれば我々の人生はあまりにも短い。そのような実存への問いは科学とアートを自然に結びつけるのだ。それはデジタル・アートの自然な進化ではなかろうか。

 寺田寅彦は『科学者と芸術家』という随筆の中で以下のように述べている。

科学者の写描は草木山河に関したある事実の一部分であるが、芸術家の描こうとするものはもっと複雑な「ある物」の一面であって草木山河はこれを表わす言葉である。しかしこのある物は作家だけの主観に存するものではなくてある程度までは他人にも普遍的に存するものでなければ、鑑賞の目的物としてのいわゆる芸術は成立せず、従ってこれの批評などという事も無意味なものとなるに相違ない。このある物を強いて言語や文学で表そうとしても無理な事であろうと思うが、自分はただ密かにこの「ある物」が科学者のいわゆる「事実」と称し「方則」と称するものと相去る事遠からぬものであろうと信じている。

アーティストと科学者は、本質的には類似したもの(真理や定理と呼ばれるもの)を探っている存在なのだと思う。現代は、アートも科学もかなり成熟し始めたことでお互いの距離が縮まり、協業することが意味を持つようになった時代だ。アート&サイエンスが注目を集めるようになったのは自然の流れでもある。

具体的な事例を紹介したい。このコラムで度々登場するオーストリアのアルス・エレクトロニカでは、欧州の科学研究機関と協力してEuropean Art & Science Networkというフレームを作りだした。反物質の研究で知られるCERNやヨーロッパのNASAとも言えるESAやESOでアーティスト・イン・レジデンスを実施している。アーティストは最先端の科学施設の中で多くの知識や視点を獲得し作品を制作する。その滞在が科学者にも影響を与えるのは言うまでもない。

考えてみると、ヨーロッパにはノーベル賞という科学のマーケティングセンターが存在するが、毎年発表される科学的貢献の素晴らしさや面白さが普通の人々に伝わっているかと考えると、微妙であると言わざるを得ない。EUは科学の知見を津々浦々に伝えるためにアートの力を信じており、アルスと協力しているのかもしれない。また科学の超大国といえばアメリカという図式から、欧州こそが科学の中心というイメージを作り出すために、科学とアートのネットワークを作り出しているのかもしれない。これらの政治的図式はあくまでも筆者の憶測にすぎないが、その融合的試みが新たな創造を生み出していることはまぎれもない事実だ。

ヨーロッパほどの規模ではないが、アジアにはシンガポールのMarina Bay SansホテルにArt Science Museumがあり、展示やワークショップを精力的に開催しているし、アメリカには小さくても影響力を持ったBit Formsというギャラリーがある。

日本にはアート&サイエンスに関わる魅力的なアーティストが非常に多い。一方で、彼らの実験的な活動を発表するための場所はとても少ない。1990年代のメディア・アートをリードしたNTTインターコミュニケーション・センター(ICC)は現在も存在するが、アート&サイエンスというよりはメディア論の実験的な試みとしての古典的なメディア・アートを扱っており、展示もかつてほど活発ではない。山口情報芸術センター(YCAM)は実験的な試みをしばしば実施しているが東京から離れすぎている。

このような背景から、アーティストが都心で実験的なアート&サイエンスの試みを気軽に発表できる場が必要だと考えるようになった。そんな折に、志を同じくする仲間との出会いがあり、あれよあれよという間にラボの設立に至った。

 

アート&サイエンスのラボをつくる

寺田寅彦が言うところのアーティストが追求している「ある物」が、科学者の追求する法則や定理と類似している何物かであるならば、アート&サイエンスは両者に共通する公理を照らし出すことができるかもしれない。このような考えから、新しいラボは art & science gallery lab AXIOM と名付けられた。AXIOMは世の中を形作るシンプルで力強いルールを探ることを目指して、2016年の10月8に六本木の芋洗坂にオープンした(https://www.facebook.com/artscienceaxiom/)。

ということで、この数カ月はせっせとラボの活動に精を出している。もしこの活動が失敗した場合でも、失敗の原因を分析の上、読者の皆様と共有することは無意味ではないだろう。その場合は、やはり分析しかできない偉そうな大学教員にすぎなかったということで、ご容赦いただきたい。活動の途中経過についてはまた今後のコラムの中で触れたいと思う。

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