『ハーン・ザ・ラストハンター』序文からの引用:
長きにわたりニンジャ小説を執筆している中で、私はしばしば「そのイマジネーションの源泉はどこにあるのか?」といった質問を受けます。言わずもがな、それは日本の様々なカルチャーやエンタテイメント作品……映画、小説、漫画、ゲーム、音楽など……とにかく日本の全てです。サムライ、ニンジャ、ヤクザ、ゲイシャ、カラテ、スシ、ゼン……それらは何歳になっても、また世界情勢がどれほど変わっても、私の心をワクワクさせ続けてくれるのです(おそらくあなたがガンマンや、吸血鬼や、スパイや、魔法使いや、スーパーヒーローや、タコ頭の邪神などに心ときめかせるように)。
しかし、それだけではありません。私は日本をテーマ(あるいは舞台)として扱うアメリカの作品群にも、強く魅了されてきました。一例を挙げてみましょう。映画ならば『ブラック・レイン』や『キル・ビル』や『ラスト・サムライ』や『ニンジャ・サンダーボルト』、小説ならば『ニューロマンサー』や『シブミ』や『ザ・ニンジャ』など。最近のタイトルだと『GODZILLA』や『ベイマックス』も大いに楽しみました。このように私は「日本産の日本作品」と「アメリカ産の日本作品」の双方を愛好しているのです。
さて、これまでに私が挙げたのは、どれもプロの手で作られた有名な作品群ですが、実は私の家の書斎には、多くのアマチュア作家の手で書かれた日本テーマの同人小説群もコレクションされています。彼らも私と同じように、ここで挙げたような双方の作品群から強い影響を受けて、日本テーマの作品を書いているのです。
今回はその中から、ぜひ日本の読者の皆さんにも読んでいただきたい、とても面白くてパワフルな作品を、いくつかピックアップしてみました(翻訳や各作者とのコンタクトについては、私にとって旧知の仲である日本の翻訳チームに任せました)。情け容赦ないヨーカイ狩りのダークファンタジー、日本の篠山県を舞台としたサバイバルホラー、宇宙のトーフ工場を舞台としたSF、MMORPGもの、少年漫画スポーツもの、そしてカワイイな女子高生が操縦する巨大ロボットものまで……なるべくたくさんのテーマやジャンルを網羅できるように、バラエティ豊かな短編作品群を選んだつもりです。個々の作品の面白さについては、私が保証します。まずは読んでいただくのが話が早いでしょう。では、どうぞお楽しみください!(引用終わり)
――ドーモ、はじめまして。筑摩書房のIです。音声のほう、聞こえていますか?
ボンド:ドーモ、はじめまして。ブラッドレー・ボンドです。大丈夫です。とてもクリアですよ。
――今回はインタビューを快諾していただき、ありがとうございます。先だってお伝えした通り、このたび『ハーン・ザ・ラストハンター』特設紹介ページを作ることになりました。そこでぜひ、今回のアンソロジーの編者であるボンド=サンに各作品の紹介をお願いしたいと思っているのですが。
ボンド:もちろん大丈夫です。とても光栄です。あなたのおかげで、この本を刊行することができたのですから。
――ありがとうございます。ではさっそく、表題作であるトレヴォー・S・マイルズ著の「ハーン:ザ・ラストハンター」と「ハーン:ザ・デストロイヤー」からお願いできますでしょうか。
ピースメーカー拳銃とウインチェスター・ライフルで武装したハーン
ボンド:ハーンが出てヨーカイを狩り殺す。タイトルの通りです。
――はなからノッペラボウが銃殺されますね。しかもかなりえぐい。
ボンド:衝撃的です。さらにハーンはノッペラボウの死体を街に引きずって帰り、報酬を受け取るのです。
――一体どのような世界なのでしょうか。
ボンド:舞台は一八九九年の日本です。江戸幕府が未だ存在しており、混沌としています。近代化し、古き良き光景や民間信仰が失われてゆく日本の中で、未だヨーカイやユーレイも生き残っています。そこに歪みが生じます。ハーンと名乗る偉丈夫が、黒い軍馬に乗って現れ、ノッペラボウや一つ目小僧などを次々に狩り殺してゆくのです。彼は「ヤーヘル」と呼ばれる徳川幕府公認のヨーカイ狩りエージェントの一団に属していたようです。ですが、ヤーヘルはヤナギダという男の堕落と裏切りによって崩壊し、ハーンが最後のヨーカイ猟兵、最後のハンターとなってしまったのです。そのような理由から、ハーンはヤナギダを追っています。
――彼の行動理念は、復讐のためなのでしょうか?
ボンド:とても複雑です。彼は理性を失った復讐鬼ではありません。ハーンには老獪さがあり、最後のハンターとしての矜持もあるからです。街から街へと渡り歩き、依頼を受けて、ヨーカイ10両、ユーレイ50両で狩りを行っています。
――作者はトレヴォー・S・マイルズ氏ですね。どんな人物なのでしょう?
ボンド:彼は『ニンジャスレイヤー』に触発されて小説を書き始め、我々のフォロワーを自任しているらしいですが、実際彼と会ったことは無いのです。
――なるほど、それで翻訳もそのように寄せてきているのですね。ハーンというと、やはり、モデルはラフカディオ・ハーンなのでしょうか?
ボンド:どこにも明記はされていませんが、冒頭のシーンが「Mujina /ムジナ」なので、おそらくそうでしょう。
――作品解題の中でも少し言及されていましたが、これはジャンルとしては、マッシュアップに分類しても良いのでしょうか?
MASHUP/マッシュアップ
マッシュアップは本来、音楽用語であり、2個以上の既存曲を混ぜ合わせてあたかも新たなトラックであるかのように仕上げたもの。1980年代からクラブシーンを中心に発展、インターネットでのアップなども盛んになり2000年以降には再びブレイクしている。マッシュアップ小説としては『リンカーン/秘密の書(ヴァンパイアハンター・リンカーン)』や『高慢と偏見とゾンビ』や「Sense and Sensibility and Sea Monsters(分別と多感とシーモンスター:未訳)」などが代表格である。それぞれ「エイブラハム・リンカーン」と「吸血鬼ハンターもの」のマッシュアップ、『高慢と偏見』と「ゾンビもの」のマッシュアップである(賢明な読者の皆さんならば、3つめは説明しなくても解るだろう)。実在の歴史や人物、古典的文学作品などをもとに、2個以上の縁遠いジャンルや作品などを混ぜ合わせたものが、マッシュアップの基本的な定義である。「パロディ」のいちジャンルとしてカテゴライズされたり、「文学的ハイブリッド」などと呼ばれることもあるが、従来のパロディとは異なり、音楽のマッシュアップのような安直さやストレートさ、オリジナルの露骨な再利用などがより強調される。一見して頭の悪そうなコンセプトと、実際映像にしてみてもやはりボンクラ映画にしかならなそうなB級感が、マッシュアップの持つ魅力の一つではあるが、それを逆手にとって読者を油断させ、説教くさくないトーンの中で人間性などの普遍的なテーマを炙りだすこともできる。
ボンド:そう言っても問題は無いでしょう。ゾンビもたくさん出てきますし。誰もが知っている格調高い古典をベースに、本来出てきてはいけないところにゾンビやカンフーやワイヤーアクションが軽率に現れ出でて、必要以上に銃弾や血が飛ぶのがマッシュアップの定番です。そういう点で見ると、ダークファンタジーとして自制が効いた「ハーン」は『高慢と偏見』や『リンカーン』ほどファンキーではないですが、マッシュアップの精神がスタート地点にあったのは間違いないでしょう。サンプリング元にしたのはおそらく、『怪談』(小泉八雲)と『ソロモン・ケーン』(ロバート・E・ハワード)という2つのクラシック、そして近代的で血の気の多いビデオゲームの数々でしょう。実際、今回収録できなかった「耳なし芳一」のストーリーなどは、ほとんど原作である怪談の筋をそのままなぞっています。
――ですが、完全なマッシュアップとも言えないわけですね。
ボンド:そうです。著者のトレヴォーは次第に、完全なオリジナルものとして、ハーンというキャラクターを動かし始めました。その最初のエピソードが、「ハーン:ザ・デストロイヤー」です。これには、直接的なサンプリング元となる小泉八雲の小説はひとつもありません。
――なるほど。ちなみに、ご自身の著作である「ニンジャスレイヤー」もマッシュアップに属するとお考えですか? つまり「サイバーパンクもの」と、「ニンジャもの」のマッシュアップであると。
ボンド:あれはマッシュアップではありませんね。サイバーパンクには最初からニンジャが内包されていますから。しかしマッシュアップの手法は非常に面白いと思っていますし、とても共感できるものがあります。音楽に限らず、小説やストーリーテリングというものについて、この現代においては完全に新しいものを生み出すという行為は、もう無理なのかもしれないと考えることが、誰にでもよくあることです。過去数千年のうちに誰かが考えた神話やストーリーの焼き直しの焼き直しの焼き直しをやっていると、数百年前から誰もが思っていたはずです。ですが現実には、人々は常に最新のエンタテイメントを求めています。それに対する答えのひとつが、野蛮で過激なマッシュアップなのかもしれません。時々我々は、何が面白いのかについて、必要以上に難しく考えてしまい、深みにはまって身動き不能になってしまうことがあります。マッシュアップはそれに対する答えの一つなのです。そして、何より「ハーン」は面白い。ダークファンタジーもの、魔狩人ものの面白さがギュッと詰まっています。それでいて、マイク・ミニョーラのような乾いたユーモアもある。全てが絶妙です。
女子高生と巨大ロボット
――次の収録作品に移りましょう。エミリー・R・スミス著の「エミリー・ウィズ・アイアンドレス センパイポカリプス・ナウ!」です。一言で言うならば、どのような小説なのでしょう。
ボンド:主人公の女子高生エミリーが様々なセンパイと一緒に巨大ロボットに乗り、渋谷に攻めてくるカイジュウと戦う、SF学園ものアクション小説です。
――エミリーはアメリカ人の少女なのですね。
ボンド:そうです。アメリカのポートランドの高校にいた時は、カースト上位の者たちから不気味がられバカにされる荒んだ暗黒の学生生活を送っていたのですが、交換留学によって渋谷に来たことで、彼女の真の運命が目覚めるのです。
――真の運命とは。
ボンド:彼女は巨大ロボットを操縦する「ウンメイテキ・ジーン」の持ち主であり、さらに吸血鬼の一族でもあったのです。その他にもいくつか重要な背景があります。物語は常に彼女の一人称視点で語られ、物凄いドライブ感があります。
――確かに、まるでジェットコースターでした。
ボンド:あるいは、暴走する車の助手席に乗っているような気持ちですね。
――どのような日本文化の影響でこのような作品が生まれたのでしょう。
ボンド:もちろん、学園もののアニメや、ロボットアニメだと考えられます。「エヴァンゲリオン」の影響は強いでしょうね。さらに彼女は、女性向けのハーレムものゲームなどにも強い関心を抱き続けてきました。
――冒頭から読み味が非常に独特です。これは……いわゆるメアリー・スー的な小説ではないのですか?
Mary Sue / メアリー・スー
メアリー・スーとは、一言で言うならば「稚拙なファンフィクション(二次創作)に登場する、作者自身の願望が投影されすぎた女性オリジナルキャラクターの典型」である。メアリー・スーにはまるで欠点が無く、頭脳明晰で、全ての事件を自分一人の力で解決できるため、やる事がなくなった登場人物たちは全員メアリーに好感を持ち(多くの場合は恋に落ち)、彼女を賞賛するだけになってしまうのだ。そして原作の登場人物をのきなみキャラ崩壊させてしまうため、ファンからは目の敵にされる。なおメアリー・スーの概念は、1970年代にポーラ・スミス女史によって考案された。彼女は当時スタートレックの同人界隈に溢れていた「クソみたいなキャラクターとそのストーリー」にある種のパターンがある事に気付き、分析を行い、自分の同人誌でメアリー・スーというキャラクターを登場させ、典型的なショートストーリーを付したのである。この概念化は極めてエポックメイキングなものであったため、今でもメアリー・スー概念は世界中で広く知られているし、それでも人々は同じ過ちを繰り返し続けている。
ボンド:厳密には、「エミリー」はメアリー・スーではありません。
――なぜですか?
ボンド:確かに、今回収録した「エミリー・ウィズ・アイアンドレス 第27話:運命の慟哭」の冒頭部は、いつものようにエミリーの長い独白から始まりますし、その大半は自身の容姿や隠された運命についてです。またいつものように、ハンサムたちやセンパイたちは皆、エミリーを讃えています。これらはさまざまなメアリー・スー・チェックシートの筆頭に来るような要素です。
――では、なぜ。
ボンド:最も大きな理由は、これが二次創作作品ではないからです。彼女の確固たるオリジナルなのです。もちろん、作者であるエミリー・R・スミス女史自身は、かつてはそのような二次創作をたくさん書いていたようです。ヴァンパイアものやSFものの定番だけでなく、日本産の女性向けハーレム・マンガや女性向けハーレム・ゲームなどにも、自分の分身であるエミリーを登場させていました。そして彼女はそれらの集大成として、「エミリー・ウィズ・アイアンドレス」というシリーズを書き始めました。これは明らかに、様々なアニメやゲームや映画や小説をサンプリング元にしていますが、その設定やキャラ造形も含めて、あまりにも細切れに混ぜ合わされているため、オリジナリティを獲得しているのです。
――なるほど。ということは「エミリー」を読めば、メアリー・スー的なキャラクターの基本的なフォーマットをいくらか理解できるということでしょうか?
ボンド:そうとも言えるでしょう。しかし、メアリー・スー概念の最も重要な要素は「原作のキャラを破壊し熱心なファンを怒り狂わせる」ことと「主人公自身にまったくキャラとしての魅力がないこと」でありますから、その点だけは「エミリー」を読んでも絶対に理解できないでしょう。なぜなら、「エミリー」は彼女が原作者だからです。それに、エミリーはかわいいです。
――私も全くその通りだと思います。エミリーはとてもかわいいです。
宇宙豆腐コロニーの寂寥と狂気
――ハイテンションな作品が続きましたが、次の「阿弥陀6」はこれまでと全く雰囲気が異なっています。解説をお願いいたします。
ボンド:これは宇宙空間を舞台としたSF作品ですね。主人公のフロストは、相棒のドロイドとともに豆腐生産コロニーで孤独な生活を送っています。すべてのシーンから、宇宙空間の静謐を感じられると思います。チルアウトするには最適な作品です。
――著者はどのような人物なのでしょうか。
ボンド:著者のスティーヴン・ヘインズワースは1970年代後半の生まれです。現在は教職に就いているようですが、若い頃、東南アジアを中心にバックパック旅行をしていました。やがて彼は禅を知り、日本食や日本文化に傾倒し、肉食を否定してヴィーガンにもなったそうです。
――おそらく、彼は豆腐をよく食べているのでしょうね。
ボンド:まず間違い無いでしょう。
――ボンド=サンの作品とは、日本に対するビジュアルイメージも大きく異なると感じました。
ボンド:ビジュアルイメージというと、つまり?
――つまり、ボンド=サンの作品では、日本の色彩は、なんというか……もっとギラギラとしていますよね。
ボンド:なるほど、そうですね。それはおそらく、私の根底にあるのが「ブレードランナー」や「ブラック・レイン」のような、80年代のパワフルでアブナイに満ちていた日本だからでしょう。漆の赤と黒、オイランの白、まぶしいネオンサイン、火花と血しぶき。それが私にとっての日本の色です。しかしヘインズワースの作品群から感じられる色彩は、清潔な白と緑。スシではなく、豆腐と野菜です。近年のクリーンでエコな日本のイメージが、著者の中にはあるのでしょう。彼は私よりひとまわり若いですしね。
――ヘインズワース氏は日本文化に、調和や癒しといった要素を求めているのでしょうか。
ボンド:そう思います。そして、整然とした美しさです。
――確かに、無重力空間で合成されていく豆腐のイメージは非常に美しかったです。
ボンド:あの描写には、強力に禅を感じる無機質でミニマルな美しさがあると私も思いました。他にも様々な場所に禅の静けさが感じられます。ぜひ皆さんも、実際に読んでそれを確かめてみてください。そして、各作品の著者来歴や解説なども合わせて読んでいただければ、80年代から現在までの日本に様々な側面があるように、このアンソロジーに参加している作家陣のプロフィールもまた多彩であることが解るはずです。彼らがどのような日本の作品や事物を愛好し、インプットしてきたかによって、当然ながら、アウトプットされる作品の主題やアトモスフィア、ビジュアルイメージなどは大きく変わるのです。翻訳チームは各作品に適した文体を選び、それぞれ全く違うテイストで翻訳してくれました。そうした色とりどりのジェリービーンズのような多彩さも、本書の楽しみのひとつと言えるでしょう。
(後編に続く)
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