おにわはまわる

おうちにおいで

『海をあげる』の刊行から約1年、新しい連載がスタートします。この秋、上間さんが友人たちと開くシェルターのお話です。

 「ここまでは入ってもよく、ここからは入れない」。ひとに対する境界線をひくことはむつかしい。
 困難があり助けを必要とするひとがそこにいる。困難は大きく何から手をつけたらよいのかわからない。それでもその困難をどうにかしなければそのひとの生が危ぶまれることだけはたしかにわかる。そういうときに私は普段つくっている境界線のルールを破り、おずおずとそのひとの領域に足を踏み入れる。
 足を踏み入れたときに、もっと踏み込んでもらいたがるのは相手のほうだ。だから私は何度も考える。力を持っているのは私であること、その力を乱用してはいけないこと。そして私の関わり方を判断できる、信頼できる複数のひとの前に自分をさらす。
 調査ばかりやってきた人間の行うことだから、鋭い指摘やダメ出しはもちろんある。それでも私のやることは、一人よがりにならずに開かれたものになる。そういった意味で私のしている調査や支援は、複数の目とともにしか存在しない。
 だから私は、ひとりで支援をしているという支援者を信用しない。そういった場所で起きるのは、自分の持っている圧倒的な力に対して無自覚な侵入がほとんどだ。自分の家に子どもや女性を招き入れて、私生活と支援を混同させる支援者のことも信用しない。人目につかない自分の場所でそういうひとがなにをするか、これまで何度も子どもたちから聞いてきた。ひととひととの境界線が侵されて、外部の目を欠いた場所で起こるのは、子どもに対するすさまじい暴力だ。それはその子がそれまで何度も受けてきた暴力の、悲しいまでの再演でもある。

                   *

 「だれかを支援しようと決めたひとは、ひととひととの境界線について考えないといけない」。東京で生活をしているときに、ふたまわり年上の女性にいわれた言葉だ。
 公立学校で教師をしていていくつも本を書いているその女性は、彼女の本の書評を私が書いたあとで、私に手紙を送ってくれた。
 研究の基本はだれかを批判をすることだと思い込んだ青臭い文章を、よくもまあまともに扱ってくれたと今は思う。「面白く読んだ」とおおらかに書いてくれたそのひとは、それから私に会ってくれて、ときどきご飯に連れ出してくれた。
 こうやって考えると私が東京で食べた美味しいものは、ほとんど彼女にごちそうになったものだ。果物の入った冷たいパスタ、果物そのものよりも果物の香りがするジェラート、海のものと山のものが炊きあわされた秋のご飯、泥臭くないシジミのおつゆ、ピカピカひかるきれいな刺身。
 彼女にごちそうになった食べ物はどれも食べたことのないもので、東京ではお金さえだせば手に入らないものはないのだと私を驚愕させるようなものばかりだった。 

                   *

 日本酒が美味しいというのも、彼女の家の夕食会で初めて知った。
 朝、築地で買い求めてきたという魚でこしらえた大皿料理が並ぶ食卓で、私は初めて日本酒をのんだ。
 キッチンとリビングを行き来しながら美味しい美味しいと杯を重ねるうちに、終電ギリギリの時刻になってしまい、東京のはずれに住んでいた私は無事に家までたどりつけるか心配されて、結局、彼女の家に泊めてもらった。
 顔を洗って客間に通されると、床の間には桃の花が、小さな飾り棚には雛人形が並んでいた。
 センスのいいしつらえに驚きながら、真っ白な糊のきいたシーツの布団に潜りこむと、敷布団のうえには生成り色の毛布がふんわり敷かれていた。
 白の濃淡の贅沢さがあるんだと思いながらぐっすり眠り、朝になると紅茶の香りの食卓に通された。
 彼女はやわらかい声で、研究者の横暴さ、新しい調査の方法を取り入れる必要性、男性社会の問題、女性として働くときに気を付けた方がいいことなどを次々話す。話は縦横無尽に広がって、私は彼女の広い額を眺めながら頭をくらくらさせながら話を聞いた。
 話がひととおり終わったからだったのか、「そういえば、私、上間さんにいっておきたいことがあるのよ」とあらたまった声でいわれた。

 「あのね、私、こうみえて家にひとを泊めないの」

 客間のしつらえは、てっきり客を持てなすことの多いおうちだからだと思っていた私は心の底からびっくりする。

 「こういう仕事をしているとね、困っているひとの話を聞くことが多いの。たとえば、家でひどいことがあった女の子。暴力を受けている女の子。妊娠してしまったという高校生から連絡が来るの。でもね、私、私の支援を必要とするひとを決して自分の家には泊めないの」

 「あのね、これから上間さんは、女性に近いところで仕事をすることになると思う。そういうひとはね、自分の住む場所に助けようと思うひとを入れないの。自分で自分を整える場所を明け渡したら結局一緒に溺れるの。境界線をなくして、自分の場所を守れなくなるのは、恐ろしいことよ」

 誰かを助けようと思うことが、私にあるのかしらと不思議な気持ちで話を聞く。
 そのころ私は、若い女性たちと関わりは持っていたけれど、だれかのことを助けたいと思ったことはなかった。ぴんとこないまま、「助けようと思ったひとを家に泊めてはいけない」という言葉だけは覚えておこうと心に刻む。

                   *

 それから何年もたってから、風俗業界で働く女の子たちや若年出産をした女の子たちの沖縄の調査のなかで、彼女が私に伝えた言葉は私のお守りのようになっていた。
 暴力や医療がらみの緊急性の高い場合には、避難できる場所をその子と一緒に話し合う。どこにも行きたくないと話したときは、一緒に避難のルートを確認して、その子がそのとき逃げ出せるように考える。
 元気がなくて落ち込んでいると連絡をもらったときには、ごはんを食べて話を聞く。今日はただ、ぼんやりしたいだけだというときは、私の仕事場でお手伝いを頼んで甘いおやつを一緒に食べる。誰にも会うことができないようならば、レトルトのスープや甘いお菓子を詰め込んだ箱を宅配便で送り届ける。
 いっそ自分のおうちに泊めたほうが楽な場合にも、私はその子を家に泊めなかった。
 私がしてあげられることを示しながら、いま、あなたの願いのすべてを実現してあげることはできないけど、私はこれからもあなたのことを見ているよ、と伝えることが私と相手の境界線だ。境界線があっても温かいメッセージが伝われば、その子は自分の居る場所で立ちあがって自分のするべきことをできるようになる。
 沖縄で10年間の調査をしてきたなかで、私はそう確信するようになった。

                   *

 それでも、そういうことでは間に合わない子たちとこの頃出会うようになってきた。
 乙葉は14歳からキャバクラで働いていた女の子で、15歳のときに子どもを産んでいた。
 乙葉の家に入ったとき、そこにいたのは真っ白な小型犬と彼女の産んだ赤ちゃんで、なにかがかすかに匂っていた。
 見渡すと、部屋の片隅には犬用のおしっこシートが畳の上に直に広げられていて、そこには犬のうんちが転がっていた。
 「ソファに座って」と乙葉はいって、それから「犬がいて、くさいから」とつぶやいた。
 「ずっと犬を飼っていたから大丈夫。マルチーズ? 名前は?」と尋ねると、「マルチーズ。シエル」と乙葉は教えてくれる。
 シエルは私のそばにやってきて、私の隣にちょこんと座る。
 ここで誰と暮らしているか尋ねると、もともとは彼氏の母親のアパートだけど、赤ちゃんの泣き声がうるさいといって母親は家を出て、いまは彼氏と子どもと三人で暮らしていると乙葉はいう。
 彼氏は仕事中かと聞いてみると、繁華街でひとを殴って拘留中で、自分も何度も殴られていて、引きずり回されるから髪の毛が束になって抜けていて、壁にぶつけられて肋軟骨にヒビが入ってしまったので、いまもそこが痛いという。
 しかも最近、自分が妊娠している間に四人の女と浮気をしたことがわかっていて、ひとりは自分の知り合いでもうひとりは自分の地元の後輩で、だからこの前、この後輩を呼び出して謝罪させたと、まるで天気の話をするように乙葉は話し、私に携帯電話の映像を見せてくれた。

 大きな町の巨大シネコンの前、映画の宣伝の効果音と町のざわめきのなかで、中学校名の刺繍の入ったジャージを着た女の子が地面に土下座して、「〇〇さんと浮気しました。ごめんなさい」と頭を下げている。
 「もっと大きな声で。頭さげて」と、乙葉は冷たい声でいい放つ。
 「〇〇さんと浮気しました。ごめんなさい」と、その子はもう一度、地面に頭をこすりつけて謝罪する。
 「もう一回!」と乙葉はいう。
 その映像は延々と続く。

 重い気持ちのまま携帯電話を返すと、こういうことがあったから、オトコが帰ってくる前に子どもを連れてこの家を離れることを決めたと乙葉はいう。
 「どこに行くの?」と尋ねると、いま仕事をしているキャバクラが、レオパレスのような寮を持っていると乙葉はいう。
 一部屋だけしかないマンスリーマンションで赤ちゃんを育てるのは難しいだろうなぁと思いながら、「自分の家には帰らないの?」と尋ねると、「もう帰ってこないでっていわれている」と、乙葉は平たい声で淡々と話す。
 この子と次の約束を取りつけるのは難しいだろうと私は思い、「じゃあさ、一カ月後に、乙葉が住んでいる場所で会おう。店でも、レオパレスでもどこにでもいくよ」といって、携帯電話のメモ帳に一カ月後の予定を書き込ませる。
 たぶん、私はこの子を見失ってしまうだろう。重い気持ちのまま家を出る。

                  *

 一カ月後、乙葉は私との約束を守ってくれた。
 でも、乙葉に指示された場所は前と変わらず彼氏の母親の家で、乙葉はマンスリーにも移動できなかったのだと私は思う。
 乙葉に前回のインタビューの記録を渡して、ぼんやりシエルをなでていると、そういえば、三日前に拘留明けのオトコと入籍したと乙葉はいう。
 三日前という言葉にびっくりしながら、どうして入籍したのと話を聞く。

 「名義がなんたらぴーひゃらだから」っていわれて、「入籍しよう」っていわれて。彼氏の名義はつぶれてるらしい。

――あぁー! 携帯とかの?

 そう。「だから名義になって」っていわれたから、入籍したっていうか。うん、一応、やった。

――名義がつぶれているっていうのは、携帯電話で払ってないお金が三か月超えたくらい?

 わかんない、わかんない、なーにもわからん。ブラックって。

 間に合わなかった、と私は思う。
 オトコはすでにブラックリスト入りしている。ならばオトコが次に狙うのは金だ。

――乙葉、怖い話をするね。借金の肩代わりになっちゃダメだよ、ね?

 ん? どういうこと?

――今、妻っていう立場になってるから、乙葉の名前でお金をあっちが借りたとするさ、

 うん。なんか、いるよね。

――うん。怖い話だけど、たぶん一番それ怖い話だから、ちゃんと聞いててよ。

 うん。

――たとえば乙葉は未成年だから、入籍してるっていっても、あんまりたくさんは借りれないはずだわけ。

 うん。

――せいぜい10万とかさ。でも10万借りるさ、乙葉の名義で。で、この10万をサクッと返したとするさ、そしたら信用が上がるわけ。このひとはちゃんとお金を返すひとですよ、みたいになって、借りれるお金がもっと増えるわけ。次は30万とか。そしてまた次もパッと返したとするさ。そしたらまた借りることができるお金が増えるわけ。50万までこのひとに貸してもいいですよ、みたいな。なんかそうやって大きなお金にどんどんなっちゃうから絶対、夫婦でも借金のときには名義貸さないっていうのが大事。おっけい?

 うん。

――これから心配なことがあったら、弁護士の知り合いもいっぱいいるからさ。……夫の借金を被った子がいるよ。夫の借金被ったキャバの子、その子、数百万かぶっている。

 大事なことのひとつはいった。乙葉はしーんと黙っている。痛みを痛みとして語らない乙葉はこの先、どうしたら暴力のことを語ることができるのだろう。小さな犬のことを尋ねてみる。

――乙葉がケンカしてるとき、シエルはどうしてる?

 シエル? 震えてるよ、めっちゃ。震えて、乙葉のところにくる。

――犬は、わかるもんね、ケンカしてたらね。………シエルはしっぽ隠してる?

 そうそう。朝もケンカしたわけさ、今日の朝も。で、ケンカして、なんか「おむつ、かえてあげて」っていったわけさ。したら、「肩痛いから」ってなんか怒鳴ってから。なんか、「肩痛いから」とかっていって怒ってたわけさ。そしたらなんか、「なんで、やー(おまえは)ひんちーしてるばー(俺に対して態度が悪いのか)」みたいな。「なんでひんちくしてるば(態度が悪いのか)」みたいにいわれてから、「してんけど!(してないよ!)」っていってから。「やー、疲れるよー、やー(おまえ、疲れる)」みたいな、「死ね」とか朝からいわれてケンカしてたわけさ。……シエル、めっちゃ震えてた。

――言葉だけ? 手も出た?

 うーん、ちょっと。髪、引っ張られたかな、くらい。

――そっか。じゃあ大きい声だしちゃうでしょ? 「きゃー」とかいった?

 乙葉が?

――うん。

 いわないよ。

――乙葉は静かなんだ、………そっか。………で、出ていきよったの?

 うん。「用事しに行く」とかいってから。

――で、おむつは?

 おむつは乙葉がかえた……。うんちしてたから。「次、このひんちーしたら、やー、ぐーぱんち飛んでくるからよー(俺に対する態度を改めなければ、今度は拳で殴るからな)」とかいわれてから、「なにか!(だったらなんなの!)」みたいな。「乙葉、悪くないのに」っていった。「肩痛くてもできるでしょ!」っていって。

 乙葉の携帯電話が光ってとまり、ふたたび光ってまたとまる。外部の人間と会うことを、オトコが警戒しているのだろう。
 「限界かも」と台所まで移動して、乙葉は電話で話している。
 たぶんこのあたりが切り上げどきで、タイムアップだ。
 帰り支度をしながら、乙葉に聞かせるためにシエルと話す。

 「乙葉がなぐられているとき、シエルは悲しいよね?」

 「なぐるひとは、怖いよね?」

 シエルは目をくりくりさせる。
 最後に赤ちゃんを抱っこさせてもらって、「飼い主がなぐられていたらワンコも怖いんだよ、シエルは乙葉のことを心配してるよ。なにかあったら連絡してね」と乙葉にいう。
 家を出て階段を降りていくと、駐車場の片隅にはエンジンをかけたままの車がある。乙葉の夫かもしれない。顔を見ておきたいと思ったけれど、私の顔も見られることになってしまう。顔は見せないほうがいい。
 帰りの車で後悔する。

 私は今日、暴力について尋ねたけれど、乙葉はその恐怖を語らなかった。腐敗したにおいがしない清潔な場所ではじめて、なぐられる日々の恐怖は言葉になる。あのオトコから、いま乙葉が逃げだすことはないだろう。
 おうちにおいで。シエルを連れて赤ちゃんを抱いて、なんとかここまで逃げておいで。
 私がそういっても、乙葉が動くことはなかっただろう。でも選択肢があって選ばないことと、最初から選択肢がないことは違うことだ。 
 巨大シネコンの前で何度も土下座をさせる乙葉と、何度も土下座をさせられる女の子のことも考える。
 あんなにひとが行きかう場所なのに、土下座をさせる女の子にも土下座をしている女の子にも大人はひとりも声をかけない。
 急がないと間に合わない。おうちのような場所をつくらないと、あの子たちは被害者になって、そして今度は加害者になる。だれかに土下座を強いられたから、乙葉もだれかに土下座を強いるのだ。

                   *

 コロナが拡大するなかで、乙葉に連絡をとってみた。乙葉はコロナの感染対策がほとんどなされていないキャバクラ店に出勤していて、観光客は入っていると話していた。その後、新しい子ども服と家の近くのスーパーの商品券を送ってあげると、「ありがとう」の返事があった。一カ月近くたってからもう一度、「なにか必要なものはない?」とメッセージを送ったけれど、今度は返事は返ってこなかった。

 私は秋にシェルターをひらく。ひとりで赤ちゃんを産んで育てることになった若いママが、出産前後を過ごす場所だ。
 場所をつくるのは手にあまる。でもつくらないときっとたぶん後悔する。何度も友だちと話してきた。
 シェルターを作ろうと思って動いたら、たくさんのひとが助けてくれて、琉球大学の本村真教授に相談して助成金をもらって小さな一軒家を借りることができた。お金の管理をアソシアさんが、琉球大学の附属病院が全員の出産を受け入れてくれることもすぐに決まり、寮母になってくれる助産師さんまで現れた。

 私たちがつくるシェルターは、「おうち」じゃなくて「おにわ」という。
 私はやっぱり境界線を侵すことはなかったし、「おうちにおいで」といわなかった。
 間に合わなかった子たちもいる。それでも動けばなにかは変わる。なにかが変われば、これから間に合うこともあるだろう。
 私たちがつくるのは小さな場所だ。でもおにわで赤ちゃんが笑うなら、ママもきっと笑うだろう。ママが笑うなら、おにわは必ず渦になる。おうちよりも開かれた、ひととひととが交差し集う場所で、私たちはママと赤ちゃんを支えて守る。おにわは10月1日、オープンする。

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「おにわ」ホームページ
https://oniwaok.blogspot.com/

2021年9月24日更新

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上間 陽子(うえま ようこ)

上間 陽子

1972年、沖縄県生まれ。普天間基地の近くに住む。1990年代から2014年にかけて東京で、以降は沖縄で未成年の少女たちの支援・調査に携わる。2016年夏、うるま市の元海兵隊員・軍属による殺人事件をきっかけに沖縄の性暴力について書くことを決め、翌年『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)を刊行。沖縄での日々を描いた『海をあげる』(2020、筑摩書房)が、第7回沖縄書店大賞を受賞した。

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