聴こえない旋律を聴く

聴こえない旋律を聴く


 芸術作品が普遍性を持つかどうか、という問いがある。それは不可能な願望にちがいないが、ひとつ言えることはある。
 ある作品が制作され、その時代のなか、人々のなかで一定の意味を与えられ理解されている。が、この時代が去っても、つまり別の時代、別の場所に置き換えられても、必ずしもその作品は意味を完全には失わない、理解できないものとはならない。この別の時代、場所においても理解されうるもの、受け取られうるものに、普遍性と呼ばれてきたものは近いだろうということである。
 椅子に座っている少女がいて、竪琴を弾いている。つま先だけ地面につけ、踵は浮かせている。少女は地面を見つめている。一方、少女から少し離れたところに青年が立ち少女を見つめている。けれど少女は青年に気づいている様子はない。少女の視線の先、足の先にいるのは小鳥である。小鳥はどうやら青年の存在に気づき、そっとその衣にくちばしを寄せるように近づいていっている。──以上は紀元前5世紀ギリシャでつくられた香油をいれるための壷、レキュトスの一つに描かれた絵の記述である。レキュトスはもともと主に男性の死者に塗る香油を入れる壷で、のちにはこの細い首の壷は墓の前に置かれ、水や花が活けられるようにもなったという。
 竪琴を奏でる少女は青年に気づいてはいない。少女を見ている青年は死者であり、だから少女には見えないのだ。《たましい》はここにいながら、もうこの世にはいない。少女は死者のために音楽を捧げているのだ。が、小鳥だけは少女と青年を結びつけるように青年の存在に気づき、その衣に近づいていっている。霊となった青年はおそらく竪琴の音を聴くことができないだろう。けれど小鳥の声を聴くことはできるのではないか。というのも墓の前にいる、わたしたち鑑賞者も少女の竪琴の音を聴くことができないが、墓のまわりでさえずる、小鳥たちの声をいま聴いているから。わたしたち鑑賞者は死者の側、死者とともにいるということになる。小鳥の存在がその二つの世界を媒介している。

Lyre-playing Muse seated on a rock labeled ΗΛΙΚΟΝ, Helicon (440–430 BC )

 

2019年8月19日更新

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岡﨑 乾二郎(おかざき けんじろう)

岡﨑 乾二郎

造形作家。武蔵野美術大学客員教授。1955年東京生まれ。1982年パリ・ビエンナーレ招聘以来、数多くの国際展に出品。総合地域づくりプロジェクト「灰塚アースワーク・プロジェクト」の企画制作、「なかつくに公園」(広島県庄原市)等のランドスケープデザイン、「ヴェネツィア・ビエンナーレ第8回建築展」(日本館ディレクター)、現代舞踊家トリシャ・ブラウンとのコラボレーションなど、つねに先鋭的な芸術活動を展開してきた。東京都現代美術館(2009~2010年)における特集展示では、1980年代の立体作品から最新の絵画まで俯瞰。2014年のBankART1929「かたちの発語展」では、彫刻やタイルを中心に最新作を発表した。長年教育活動にも取り組んでおり、芸術の学校である四谷アート・ステュディウム(2002~2014年)を創設、ディレクターを務めた。2017年には豊田市美術館にて開催された『抽象の力―現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜』展の企画制作を行った。『抽象の力 近代芸術の解析』にて、平成30年度(第69回)芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)受賞。
主著に『抽象の力 近代芸術の解析』(亜紀書房 2018年)、『ルネサンス 経験の条件』(文春学藝ライブラリー、文藝春秋 2014年)、『芸術の設計――見る/作ることのアプリケーション』(フィルムアート社 2007年)。『ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ』(絵本、谷川俊太郎との共著、クレヨンハウス 2004年)。