“You Haven't Found Your Way Until You Get Lost.”
私の部屋のドアに掲げてある言葉である。「迷わなければ行くべき道は分からない」とでも訳せばよいだろうか。あるいは「きみの道は迷子になって初めて見つかる」とか。偉人の格言集にでも載っていそうな言葉だが、さにあらず。アメリカの単車乗りに伝わる古い掟(Old Motorcyclist Rule)なのだそうだ。
20年くらい前になるだろうか、当時勤務していた会社の同僚がアメリカ土産に一冊の手帳を買ってきてくれた。ハーレーダビッドソンの手帳である。乗車や整備の記録をつけるための実用本位の手帳だが、モレスキンノートを細長くしたような、なかなか洒落たつくりをしていた。そのころの私はハーレーダビッドソンに狂っていて、毎日会社にまでハーレーで通勤するほどだったのである(いまはちょっと休憩中)。
そのハーレー手帳の見開きに刷られていたのが冒頭の一文である。ゲット・ロスト。道に迷う。自失する。我を失う。すべてはそこからはじまるのだ。
この言葉がすっかり気に入った私は、見開き頁を拡大コピーに次ぐ拡大コピーにかけ、A3サイズの大きな紙に印刷した。そして部屋のドアに貼りつけた次第である。あれから20年、手帳はどこかへ行ってしまったが、貼り紙のほうはびくともしていない。いまでも毎朝毎晩見ている。
この4月、アメリカの作家レベッカ・ソルニットの翻訳書『迷うことについて』(東辻賢治郎訳、左右社)が刊行された。本を見るなり、まるで私のために書かれた本ではないかと驚いた。世界のソルニットファンには悪いけれど正直そう思った。なにしろ原題が“A Field Guide to Getting Lost”なのである。つまり、迷子になるためのフィールドガイド。
もともとソルニットは私にとって、こんな風にものが書けたらと思わせる数少ない書き手のひとりであった。ハリケーン・カトリーナに取材した『災害ユートピア――なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』(高月園子訳、亜紀書房、2010)、歩くことにまつわる人類の思考と文化を縦走する『ウォークス 歩くことの精神史』(東辻賢治郎訳、左右社、2018)、そして憤怒とユーモアのジェンダー論『説教したがる男たち』(ハーン小路恭子訳、左右社、2018)、等々。
ソルニットが取り組むテーマはおそろしいほど広範囲にわたるが、どの作品も個の経験から普遍的な洞察にいたるという離れ業をなしとげている。アカデミズムに属さないで活動をつづけている点にも、一介のフリーライターの身としては共感せざるをえない。そこへきて本書の刊行である。もう耽読するしかないではないか。
かつて甲本ヒロトが歌ったように、なにか変わりそうで眠れない夜、というものがある。大きな変化が訪れそうな気がするけれど、いつ、なにが、どう変わるかまではわからない。迷子になりそうな予感だけがある。
そんな夜にはどうしたらいいだろうか。無理に不安をしずめようとするより、いっそのこと、自分から迷子への道を歩みだしてしまったほうがいい。どちらにせよなにか変わってしまうのだ。
ハーレーを休憩中の私にとって、迷子への第一歩は読書によるしかない。でも、ただの愛読書では足りないだろう。慣れ親しみすぎた本は、迷子になるにはちょっと向かない。愛着を感じるだけでなく、同時に自分とまったくかけ離れた資質と才能を感じる本がいい。迷走の可能性が一挙に広がり、思わぬ場所に連れていってくれそうだから。
そういうわけで私には、なにか変わりそうで眠れない夜専用の読書リストがある。これまで、トルストイ『アンナ・カレーニナ』、大西巨人『文選』、幸田文『みそっかす』、ジャン・アメリー『罪と罰の彼岸』、ジル・ドゥルーズ『記号と事件』、絓秀実『「帝国」の文学』といった書物の世話になってきた。
これからは本書を携えて迷子になるとしよう。心強いフィールドガイドになってくれそうである。