コールハースの『S,M,L,XL』の抄訳が出版されるという。原書は、1995年に出版された、厚さ7cm、重量2.7kgの怪物的著作。とにかくデカくて重く、話題の本だと手に入れたものの、持ち運ぶだけで腕が痛くなったのを覚えている。むろん、その「デカさ」は本書の内容とも深く関係していたのだが、今度の邦訳では、ブルース・マウによるそんな伝説のエディトリアル・デザインはすべて消え、文字中心の論文集として文庫に収録されるとのこと。少し残念に思ったが、ゲラを読みそんな懸念は消えた。本書のもつインパクトは、文字だけになってもほぼ変わらずに残っている。
本書には、20世紀の消費社会が実現した空前の「デカさ」(Bigness)をまえに、幻惑され、戸惑い、そして立ち向かおうとしたひとりの建築家の思考の歩みが、断章形式のメモ書きから歴史的な考察を含む論文まで、さまざまなかたちで収められている。ここで「デカさ」とは、具体的には、空港であり、巨大物流施設であり、ショッピングモールであり、テーマパークであり、あるいはニューヨークでありシンガポールでありドバイである。2015年のいまであれば、そこにグーグルやフェイスブックの名を加えることもできるだろう。それらはすべて、古典的建築とは別の規則で、古典的建築家の想像力を超えた規模で「デカさ」を実現する。コールハースは、そのような「デカさ」の出現こそが21世紀のもっとも重要な問題であるということを、ごく初期の段階で見通していたすぐれた建築家、というよりも思想家のひとりである。疑うひとは、せめて邦訳巻頭の「ジェネリック・シティ」だけでも読んでもらいたい。20年前に書かれたとはとても思えない、現代に通じる先駆的な問題意識に満ちている。
コールハースの問題提起にもかかわらず、本書の出版以降、建築家の多くはむしろ「デカさ」について考えなくなっていった。少なくとも、日本では「デカさ」をめぐる話は好まれなくなった。2011年の震災のあとはますますその傾向が強くなり、いまやこの国では、あるべき建築家として、コミュニティを大切にし、クライアントの話に耳を傾け、行政との交渉や人間関係の調整に長けた「小さな」ひとばかりが求められているように見える。そのような流行のなかでは、本書の問題意識は、時代遅れで、誇大妄想的で、下品にすら見えるかもしれない。
けれどもぼくは、そんな現代にも、単にエコでおしゃれで快適な建物を設計するだけではない、都市や資本や世界の未来に通じるような、「偉大な=Bigな」建築家になりたい学生も、少しはいるのではないかと信じている。本書は、そんなひとにぜひ手にとってもらいたい書物である。
レム・コールハース『S, M, L, XL+』の刊行を記念して、東浩紀氏、山形浩生氏、隈研吾氏の書評を掲載します。伝説の書『S,M,L,XL』の核となっているテキストと、その後の問題作10篇を加えたオリジナル編集の日本版が、いきなり文庫で登場! はたして3氏はどのように読んだのか。