ちくま新書

介助は大変なことばかりじゃない
立岩真也『介助の仕事――街で暮らす/を支える』書評

傑作ノンフクション『こんな夜更けにバナナかよ』の著者、渡辺一史さんに、立岩真也著『介助の仕事――街で暮らす/を支える』の書評を書いていただきました。介助という仕事の魅力とは? 介助の本質とは?(PR誌「ちくま」2021年4月号より転載)

 介助の仕事というと、なんとなく「つらくて大変そうだ」というイメージばかりが世の中に広まってしまっている。

 そんな中、立岩真也さんの新刊『介助の仕事』では、必ずしもそうではない側面が積極的に語られている。たとえば、介助の時間の大半は、頼まれたことを淡々とこなす地味な仕事であり、いわば「主体性がいらない仕事」だという。世の中には仕事にやりがいや自己実現の機会を求める人がいる一方で、控えめで「黙ってできる仕事」を好む人もいる。そんな人には向いた仕事かもしれない。また、介助を一生の仕事にしたい人だけでなく、大学(院)生や留学生をしながら、あるいは定年退職後に少しの期間働きたいという人も、時給はコンビニやスーパーのアルバイトと比べても悪くない。とにかく、いろんな人を許容する幅があるのが、介助という仕事の魅力である。

 ところで、知らない人が案外多いようだが、同じ介助(介護)といっても、高齢者と障害者とでは、今の日本において法制度そのものがまったく異なる。介護を必要とする高齢者(原則65歳以上)が利用できるのが「介護保険制度」と呼ばれる制度だが、その一方で障害者については、「障害者総合支援法」という法律によって、居宅介護や施設入所支援などさまざまなサービスが定められている。中でも、本書の主題である「重度訪問介護(略して「重訪」)」は、障害支援区分4以上の重度の障害者が利用できるホームヘルプサービスのことだ。

 この重訪は、高齢者の制度と比べると、圧倒的に使い勝手がいい特質がある。たとえば、介護保険では1日1~2時間だけヘルパーが家に来て、入浴や家事援助などを終えると、あわただしく別の家に行ってしまうのに対して、重訪は1人の障害者に24時間交代制で付き添うこともできる長時間滞在型のサービスである。この制度があるからこそ、重度障害者の地域での「自立生活」を支えることができ、前述の「頼まれたことを淡々とこなす」という重訪ならではの特質も生まれる。

 なぜこれほど制度に差があるのかというと、本書の第5章でも語られるように、障害者の介護保障制度は、1970年代から命がけで施設を飛び出し、地域で暮らし始めた障害者たちが、社会や行政に訴えかけてゼロからつくり上げてきた歴史があるからだ。資格制度においても、取得にひと月以上を要する「介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)」とは別に、数日で取得できる「重度訪問介護従業者養成研修」という独自の制度も認められているなど大きな違いがある。にもかかわらず、地方自治体の担当者や福祉職でさえ、この制度の実情をよく知らない場合があるというから、本書が世に出る意味は大きいだろう。

 もう一つ大切なことは、今日「介助にかかるお金」が社会にとってマイナスであるかのように語られがちだが、それは大きな間違いであるという点だ。それらのお金は、なにも障害者や高齢者が懐に入れて浪費しているのではなく、介助者の人件費となって彼らの暮らしを支え、地域の消費を支えている。地方や過疎地にとっては、若い働き手の定住をうながし、地域の福祉力の向上や人間関係の豊かさを育む上でも、これほど有効な社会投資は他になく、同時に「反優生思想の強力で具体的な運動」にもつながるという部分には大いに共感する。

 立岩さんは、障害学や生命倫理の分野では第一人者といえる学者だが、その著作が分厚く難解なことでも知られる。本書はというと、先の重訪の養成研修で立岩さんが話した講義録が元となっているだけに、全編が話し言葉で構成され、読みやすくはある。とはいえ、現実の微細なニュアンスを物語化せず語り切ろうとする立岩さんの“誠実さゆえの晦渋さ”は健在だし、「ここから先は別の本で書こうと思ってます。以上」──と読者を突き放す場面も多い。まずは頭に入ってくるところをざっと読み進めてほしい。「重訪」という表向きマイナーな制度が指し示す、介助のありうべき本質が見えてくるはずだ。

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