彼女の名前は

未来のための物語
『彼女の名前は』(チョ・ナムジュ著)、『魯肉飯のさえずり』(温又柔著)に響き合う言葉

『82年生まれ、キム・ジヨン』の著者チョ・ナムジュ氏の短編集『彼女の名前は』(小山内園子、すんみ訳、筑摩書房)の刊行記念イベントが2020年11月5日、下北沢の書店B&Bで行われました。作家・温又柔さんと、訳者お二人のトークをぜひお楽しみください。温又柔さんの著書『魯肉飯のさえずり』(中央公論新社)と『彼女の名前は』が共鳴しあう点も多く、熱いトークとなりました。

小山内園子(司会)×すんみ×温又柔

●この本を手に取って

小山内 まず、温さんは、『彼女の名前は』をお読みになって、いかがでしたか。

 チョ・ナムジュさんの前の作品『82年生まれ、キム・ジヨン』は、文学の幅を超えて、女性たちの力を鼓舞しました。私も、キム・ジヨンに勇気づけられた一人です。そのチョさんの新作が読めると思って、とても楽しみでした。日本版『キム・ジヨン』の表紙を飾る榎本マリコさんによる空っぽの顔の女性の絵も素晴らしかったけれど、今回も装幀の良さにまず心惹かれました。この、女の子たちがお化けごっこみたいなことをして布を被っている絵の意味が、本を全部読み終えるとズシンと響く。すごい。皆さんが愛を込めてこの作家の作品を日本の読者に届けようとしているのが感じられます。

 キム・ジヨンは一人の女性の物語でしたが、こちらは連作短篇。たくさんの女性が出てきます。一人一人がちゃんと自分の名前を持ちながら、それぞれの人生のあるひとときを生きてるときの感情が描かれている。だからこそこの中に、私自身や私の友達がいるような気がしたし、お母さんもこんな気持ちだったのかなとか、おばあちゃんは、私の祖母である前は、おばあちゃんの名前で生きていたんだなと、すごく面白く読ませてもらいました。

小山内 この本の装丁は名久井直子さん、装画は樋口佳絵さんですが、この本のために描き下ろしていただいた絵を最初に見たときは、すんみさんと一緒に、ほぼ泣かんばかりで。

すんみ そうですね。ハサミで布を切っている人、鳩に助けられて布を取っている人、ろうそくを手に持っている人、うずくまっている人、お祈りをしている人など、一つ一つの絵から様々な物語が見えてくるようですごく好きです。

 翻訳する前に全編を読んだあと、小山内さんと二人で、どの作品がより自分にグッときたのか、自分が特に状況を理解できた作品はどれかを話し合いました。ちょうど私はここ数年の間に結婚して子どもを産んだので、結婚・出産、子育ての話がたくさん出てくる第2章と第3章を担当することになりました。

 お二人は以前も『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』(イ・ミンギョン著 タバブックス)で共訳なさってます。あの本には私、大袈裟ではなく救われたので、今回、小山内さんとすんみさんが共訳したと知ったときは興奮しました。『キム・ジヨン』は斎藤真理子さんが翻訳なさったからこそ多くの人の心を摑んだと思うのですが、複数の女性の人生が次々と語られる『彼女の名前は』が、一人ではなく、二人の女性によって訳されたことにも大切な意味があるように思いました。

小山内 もともと私たちが『彼女の名前は』を訳すきっかけになったことも、シスターフッドと言えるんです。『キム・ジヨン』の翻訳をなさった斎藤真理子さんが、『彼女の名前は』については、たくさん韓国の女性たちを見てきた二人の女性で翻訳したほうがいいよということでご紹介いただいて、私たち二人で訳し始めました。

すんみ 私もこの本は、斎藤さんのおかげで小山内さんと二人で訳すことができて本当によかったと思っています。共訳のいちばんのメリットは、作品を複数の視点で解釈しやすくなるという点だと思いますが、今回も小山内さんと意見をやりとりするなかで「キャラクターにもっと厚みが出てきてる」と思った瞬間が何度もありました。

 小山内さんとの共訳は『彼女の名前は』が三冊目ですが、今回は特に楽しかったです。小説だからというのもありますが、「すごくここが泣けた」みたいな感想を言い合っていたりして、友達とおしゃべりしているような楽しさがありました。

左から、小山内園子氏、温又柔氏、すんみ氏。

 

 

●印象的な作品

小山内 翻訳中はよく真夜中にすんみさんと電話で相談していたんですが、翻訳の話というよりは一話一話の感想を共有することが多かったんです。翻訳原稿をチェックしあうときもコメント機能を使って「(涙)」とか「号泣」とか書き込んで。私はすんみさんより15歳年上なので、私が使う若者言葉への違和感もご指摘いただきました(笑)……本になって、実際に読まれた方の感想には「胸に迫る」「辛い」「キツかった」という反応もありましたが、温さんはどの物語が一番印象深いですか。ネタバレ禁止で(笑)。

 「私の名前はキム・ウンスン」にある、「娘として、学生として、社員として、客として、それぞれの役割をこなそうとしてきただけで、じゃあ自分がしかるべき対応をされているのかどうかについては考えたことも、求めたこともなかった」という表現にはハッとさせられました。考えてみれば、誰もが、自分の役割をこなすことで社会に受け入れられてゆく。でも、その「役割」を懸命にこなせば、本当に私たちは幸福でいられるのか、とこの本は問う。そのせいで読んでいて辛くもなるというか(笑)。たとえば、「インタビュー――妊婦の話」なんか特に辛い。すんみさんは、よくぞ小さなお子さんを子育て中にこれを訳されたなと……。

すんみ そうですね。訳していて、本当にこれは自分がインタビューを受けているのかと思うぐらい、自分の経験を投影しながら翻訳していました。妊娠している女性が経験するようなことがいっぱい書かれていて、主人公が感じている違和感や悲しみ、怒りは、私が妊娠していたときにそのまま経験したり感じたりしたことでもありました。それで翻訳していて本当に辛かったですね。

温 一方で、子どもがいない立場として身につまされたのが、「公園墓地にて」という、きょうだいの中で唯一独身である末娘の話。葬儀用の車で兄と姉と甥っ子と姪っ子とともにたずねた墓地で母親の骨箱を抱えた「私」が「三十年後、ひょっとしたらそれより早く訪れるかもしれない自分の最後の瞬間」を淡々と想像するこの小説の最後の段落が肌身に迫りました。子どもがいなくても幸せに暮らしてる女性はこれからもっと増える気がしますが、自分が親を見送るようには自分を見送ってくれる子どもがいないと思ったときにふとこみあげてくるさみしさについては私もいつか小説に書いてみたいですね。しかし、子どもがいない女性も、妊婦さんも、それぞれ辛いんだよってことが書いてある本当にすごい本ですね。

小山内 私は妊娠・出産の経験がないんですが、「インタビュー――妊婦の話」の、いろいろなところが痒くなるとか、みんなが勝手におなかを触ってくるとかいう内容になるほどと思いました。妊娠したというだけで、体が公共物になる。あなたと何の関係もないのに。

すんみ 私も妊娠中にお腹を触られて初めて体が公共物になったような違和感を覚えて、これまで他の妊婦たちに悪いことしたなあと思いました(笑)。

小山内 過去に自分のした行動がフラッシュバックしてくる。やったことの意味あいをもう一度たどって、あれはよくなかったかもと思う。ただ、「インタビュー――妊婦の話」でいうと、おなかを触られた彼女は決して我慢してばかりはいないですよね。それはやっぱり希望なんだと思いました。

 思わず自分を顧みてしまったという意味では、「ナリと私」も。

小山内 テレビ局に勤めている放送作家。

 たぶん、いまやそこそこ安定した地位にある「私」は、激務に追われる後輩の女性にむかって、それぐらい耐えてよ、私のときはもっとひどかったんだから、と言いたくなるのをぐっと飲み込む。自分が若手だった頃に上の世代から一番言われたくなかったことを下の世代に言いたくなるのをこらえる感情の揺らぎがとてもリアルです。私と同世代の女性もこんなふうに感じている人多い気がします。

小山内 すんみさんはどの作品が印象的でしたか。

すんみ 初めて読んだときは、「ママは一年生」という、子どもを小学校に通わせ始めた母の話がすごく感動的でした。子どもを保育園に入れたばかりの頃にこの本を原書で読んだのですが、保護者として子どもを学校に行かせるということが初めての経験だったので主人公のようにかなりあたふたしていました。

小山内 お母さんという体験自体が初めてで、全部生まれて初めてなのにもかかわらず、やっていかなきゃならない。

すんみ 1年生のママって結局、ママが学校に行くのとほぼ変わらない状況になるんですよね。持っていく物にママが名前を書いたり、先生と相談したりするのもママがやらなきゃいけない。そういう役割がすべてママに集中してしまう辛さが綴られているんですけど、私も同じようなもどかしさを感じていました。

 あと最後のシーンがすごく心に響きました。子どもを保育園に行かせてから保育士の方や周りのママたちにすごく助けられて、子どもを自分ひとりの力で育てているわけではない、みんなに支えられている、としょっちゅう思っていたのですが、そのままの事が書いてあって。

 母親同士が支え合ってるんですよね。理解のない男性上司のせいで会社に拘束されるお母さんのことを時間の融通が利くお母さんが支えたり、高学年のきょうだいがいるベテランママがカカオトークで新米ママたちにアドバイスしたり。爽快なのは、なんの対価ももらわずただ子どもの母親と言う理由だけで女性たちがPTAや保護者会の役割分担を必死でこなすあいだ、子どものパパたちはいったい何しているの? という告発の要素もあるところ。育児をしながら仕事をする女性社員に理解がないだけでなく、母親連中が出しゃばりすぎなんだ、と言ってのけた部長に、あんたは自分の息子がいま何組にいるのかわかってるのか、と啖呵(たんか)を切って黙らせてしまうとかね。

小山内 ええ。「ママは一年生」では、そんな会社こそが変わるべきじゃないかと主人公は思う。

 全編にわたってこういう意志が入っているところが、この本の魅力です。

小山内 誰かとこの本のことを話すたび印象に残った作品が変わっていくので、共有されることでさらに化学変化を起こす短編集だなあ、と思います。いまお二人の話を聞いていて、私は第3章の「ジンミョンのお父さん(あなた)へ」のことを思い出しました。子どもたちも独立して老後は夫と楽しく暮らそうと思っていたら、夫には先立たれ、息子と娘には孫の面倒を見てほしいと頼まれる。ようやく訪れたフリーな時間がすべて奪われる。そんな思いを切々と、天国の夫にあてて手紙にしたためるんですね。妊婦さんがテレビ局でインタビューを受けたり、ママさんたちがカカオトークで繋がっているという物語がある一方で、手紙というアナログな手法で思いを表現する女性も登場する。全編通じて、さまざまな世代が響きあっています。

 世代を跨(またが)ってますよね。ある意味、次の世代や、次の次の世代の女性にとっての世の中が今より少しでもマシになるようにという願いも込められてる気がします。

すんみ さまざまな苦しい状況の中でも女性同士は分断せずに支え合っているんだ、というメッセージを、すべての短編で読み取ることができます。

2021年1月29日更新

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小山内 園子(おさない そのこ)

小山内 園子

東北大学教育学部卒業。NHK報道局ディレクターを経て、延世大学などで韓国語を学ぶ。訳書に、『破果』(ク・ビョンモ)、『大丈夫な人』(カン・ファギル)、共訳書に『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』(イ・ミンギョン)、『彼女の名前は』『私たちが記したもの』(チョ・ナムジュ、いずれもすんみと共訳)がある。すんみとともに雑誌『エトセトラ VOL.5 私たちは韓国ドラマで強くなれる』責任編集。

すんみ(すんみ)

すんみ

早稲田大学大学院文学研究科修了。訳書に『あまりにも真昼な恋愛』(キム・グミ 晶文社)、『屋上で会いましょう』(チョン・セラン、亜紀書房)、共訳書に『北朝鮮 おどろきの大転換』(リュ・ジョンフン他、河出書房新社)、『私たちにはことばが必要だ』(イ・ミンギョン、タバブックス、小山内園子と共訳)などがある


 

温 又柔(おん ゆうじゅう)

温 又柔

 1980年、台湾・台北市生まれ。3歳の時に家族と東京に引っ越し、台湾語混じりの中国語を話す両親のもとで育つ。2009年「好去好来歌」ですばる文学賞佳作を受賞。15年『台湾生まれ 日本語育ち』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞、17年『真ん中の子どもたち』で芥川賞候補となった。『魯肉飯のさえずり』で第37回織田作之助賞を受賞。その他の著書に『空港時光』、エッセイ集『「国語」から旅立って』、木村友祐との往復書簡『私とあなたあいだ――いま、この国で生きるということ――』などがある。