裸で生きている人にはかなわない。
早川義夫さんの文章を読むと、その嘘のない自由さがうらやましく、また自分の意気地なさを思い知らされもして正直なところつらくなるのだが、読みはじめたら最後、何かにつかまれたように先を読まずにはいられなくなる。
「これがいまの早川さんの表現です」。そのように言われ、渡された原稿はずっしり重かった。前半は切ないけど少しユーモラスなところもある「彼女たち」との思い出(あまりに赤裸々に綴られていたのでびっくりした)。後半は妻である靜代さんとの、二人が出会ってから靜代さんが亡くなるまでの話。わたしには想像するしかないが、靜代さんに捧げられたこの本は、早川さんのなかですべてが「ほんとう」だから、都合のよいところだけを語るという訳にはいかなかったのだろう。
それは〈他人〉にとってみれば、奇妙に見えた夫婦のかたちだったのかもしれない。早川さんはほかの女性とのあいだに起こったみっともない話でも靜代さんに相談し、靜代さんはおおらかにそれを包み込んだ(彼女たちから嫌われないよう、プレゼントまで買ってフォローしたという)。
他の女性のために書いたラブソングを積極的に褒めてくれたのもまた、家族の中では靜代さんだけだった。
「いいと思う」
自分の感情は別にあったのかもしれないが、それを伝えられるのは、靜代さんが公平で素直な性格だったことに加え、誰よりも早川義夫という人間のことを知っていたからだろう。自分に正直に生きている人は魅力的だし、他人の痛みにも敏感でやさしい。身勝手に見えるかもしれないが、全力で心をふるわせながら生きている早川さんのことが、靜代さんはどうにも憎みきれず、やはり大好きだったのだと思う。
かつて早川さんにそうした時代があったように、いまわたしも、夫婦で一つの書店を経営している。その書店には奥に小さなカフェがあり、わたしは書店、妻はカフェをそれぞれ担当しているので、家にいる時間を含めれば四六時中一緒にいる。
店をやっていると、定期的に「いやな客」もくるのだが、彼ら(彼女ら)が帰ったあと「やっと帰っていった」と妻にこぼすと、わたしもイヤだと思ってたと大体の場合は返ってきて、そんな時にはなぜか安心してしまう。
夫婦のあいだには当人同士でもわからないところがあり、わたしはせっかちで彼女はのんびりしているので、見た目の性格は随分違うのだが、何が駄目でみっともないと思っているのかその基準が似ているのだろう。だからわからないまま一緒にいても、お互い嫌いにならずにいることができるのだと思った。
早川さんにとって靜代さんは、一番近くにある大きな謎だったのかもしれない。そしてそうありながらも靜代さんは、誰よりも気が合い影響を受けた「女ともだち」でもあった。その誰にも代えがたい靜代さんを亡くしてしまい、自らを鼓舞するようにことばを絞り出す、早川さんの嘆きははかりしれない。
本書の最後に、書店時代の靜代さんが書いた「書店だより」が収録されていた。その文章を読んでいると、靜代さんの素朴で素直なものの観かた、先入観を持たず、分け隔てなく人と接している物腰が伝わってくるようで、何度もくり返し読んでしまった。靜代さん、すてきな人だったんだなぁ。早川さんがたくさんの恋をしながらも、決して靜代さんと別れようとは思わなかった理由のひとつが、少しだけわかった気がした。
いつも隣にいる人は褒めづらい。この本は出しそびれたラブレターかもしれないがきっと靜代さんには届いているだろう。