メディアからの批判
「国民的論議を抜きにして法案を押し通すのは許せない」
朝日新聞はその紙面の中で、法案に反対する人々の運動について、「草の根の異議広がる」と題して、その怒りの様子を伝えている。「女性を中心とした草の根レベルの反対運動がここにきて広がりを見せている」という。新しい法案の導入をめぐり、国会の中と外の両方で、激しい論戦が見られた。世論は賛成派と反対派に分かれ、メディアもまたそれぞれの立場を支えるようになっていた。朝日新聞は、明確に、その法案には批判的な立場であった。
他方で、会員数が五〇〇〇人にのぼる「日本婦人有権者同盟」は、「法案は憲法に違反し、国民の合意も得られていない」と、「議員会館を訪ねたり、電話で慎重審議を求める説得活動を続けている」その様子を、紙面においてくわしく紹介している。
それだけではない。朝日新聞では「数の力で押し切る政治」と題する社説の中で、法案への強い異議を説いている。そこでは、「『数の優位』を頼んで押しまくっている」政府を批判して、「議会政治の基本である『対話の精神』を欠いているといわざるをえない」と非難する。そして、「このままでは、国会や国会議員の権威が落ち、政治に対する不信感も広がるだろう。憂慮すべき事態だ」と論じて、法案の審議が十分ではなかったことを批判している。
さらには、「声」の欄で、「憲法ねじ曲げ、何が法治主義」という「21歳学生」の次のような怒りの言葉を載せている。「第9条の理念を際限のない拡大解釈によってねじ曲げれば、国家の最高法規である憲法は全く中身のないものになってしまう。これを法治主義に対する挑戦だと考えるのは、大げさだろうか」。
法案への国民の反対の声はさまざまな場所で見られるが、朝日新聞ではこのような多様な不安の声を掲載して、国会での政府の対応を厳しく批判した。また社会面では、「『審議不十分』『違憲』9割」と題する記事を載せて、「大阪弁護士会の会長経験者ら有志は一五日夕、約二〇〇〇人の全会員を対象にしたアンケートの結果をまとめた」と報じている。
その結果は、会員の九割が法案を「違憲」と返答したという。このような批判と不安が渦巻く中で成立した法律に対して、朝日新聞は強く疑念を示していた。
法案成立についての主要紙の評価は、大きく二つに分かれた。朝日新聞の紙面ではその様子を伝えており、「東京の主要各紙のうち、読売新聞と産経新聞」が「成立を積極的に評価した」と述べ、他方で「毎日新聞と朝日新聞は、国会の審議のありかた全体に疑問を投げかけた」と報じている。また、「毎日は『憲法を守るべき立場にある国会が、国民の意思を問うことなく、どこまでも憲法解釈を拡大するというのでは、議会制民主主義の根幹が揺らぐ』と厳しい目を注いだ」と、その社説を紹介している。
何を恐れているのか
さて、ここで紹介した法案成立を批判的に報道する朝日新聞の記事は、すべて、二四年前の一九九二年六月一五日に成立した、国連平和維持活動協力法、いわゆるPKO協力法に関するものである。二〇一五年九月一九日未明に参議院で可決して成立した、いわゆる「安全保障関連法」(以下、安保関連法)に関するものではない。
これらの記事のなかで朝日新聞は、このPKO協力法の成立のプロセスを厳しく批判し、またそれを違憲とする見解をしばしば紹介している。憲法解釈を「変更」して自衛隊を海外に派遣することになるPKO協力法が、それまでの戦後の平和主義の精神を脅かすと、懸念を示していた。このときの政権は、ハト派の宮澤喜一首相率いる自民党政権であり、自民党、公明党、民社党の三党の賛成によりこのPKO協力法が成立した。
社会党はこの法案成立に激しく抵抗していた。田辺誠社会党委員長は「今日、憲法違反のPKO協力法案が強行採決されようとしている。身をていして打開を図るべく、辞職を決意した」と述べて、党所属の全衆議院議員の辞職願を議長に提出した。また、社会党は、法案採決の際に、国会の議場で「牛歩戦術」をとって抵抗した。法案成立を阻止するために、意図的に所属議員がのろのろと歩くことによって、一本あたり最大一三時間も採決を引き延ばした。これが、彼らの考える平和主義であり、民主主義であった。
その後、PKO協力法に基づいた自衛隊の海外派遣は、国際社会で高い評価を受けるとともに、国民の間でも理解が浸透していった。他方で、リベラル系のメディアが論じるようなかたちで、憲法解釈の「変更」による自衛隊の海外での活動が戦後の平和主義の理念を壊すことはなかったし、国会での「強行採決」が民主主義を破壊することもなかった。
むしろ、自衛隊のPKO参加によって、よりいっそう肯定的なかたちで日本の平和主義の理念が世界に伝わることになった。災害後の復興支援活動、内戦後の平和構築活動や人道支援活動などは、国際社会において日本の平和国家としてのイメージを定着させることを手伝った。
そのような自衛隊の海外での努力は、世論調査の結果にも明確に現れている。二〇一六年の内閣府の世論調査によれば、国連PKOへの参加について八一パーセントもの人が、肯定的に評価をしており、「参加すべきではない」と答えた者の割合は、全体のわずか一・八パーセントに過ぎなかった。かつては、PKO参加のための自衛隊派遣を、大阪弁護士会の九割が違憲とみなしており、また朝日新聞は社説で「数の力で押し切る政治」としてその法案成立を批判していた。
朝日新聞では、法案成立の翌日の一九九二年六月一六日の社説で、「PKO協力の不幸な出発」と題して、「自衛隊とは別の組織を新設し、文民主体の民生分野の協力から始めよう」と主張している。そして、「この法律には多くの問題点や欠陥がある」と法案成立を批判している。そこでは「自衛隊を送る」という「狭い考え方」を批判して、「軍縮の推進、貧困の克服、地球環境の保全」を徹底すべきと、社の方針を説いている。
同日の朝日新聞では、政治部による次のような解説が掲載されている。そこでは、「自衛隊のPKO派遣をめぐる憲法解釈論議が最大の焦点となったことは間違いない」として、「自衛隊の海外派遣、なかでもPKF参加に対する政府の見解は、従来の『憲法上許されない場合が多い』から、『武力行使と一体化しないのであれば、わが国の武力行使との評価を受けることはない』(工藤敦夫内閣法制局長官)へと大幅に変わった」と指摘する。
二〇一五年の安保法制に関する反対派の議論を見ていると、まさに一九九二年六月のPKO協力法成立の際に見られた批判と同様の議論が繰り返されていることに気がつく。法案成立への政府の手法に対する批判や、自衛隊が海外で活動することで戦闘に巻き込まれることへの批判、さらにはそれによって戦後の平和主義が崩れていくことの懸念や、憲法解釈の変更による自衛隊の活動領域の拡大についての異議が唱えられている。
同様の批判や懸念は、一九九九年五月二四日の周辺事態法成立の際、二〇〇四年一月一六日にイラク南部サマワに向けて陸上自衛隊先遣隊が派遣された際、そして同年の六月一四日に有事関連法が成立した際にも、聞こえてきた。いったい何を恐れ、何に懸念し、何を止めようとしているのだろうか
なぜ立場を変えたのか
本書は、二〇一五年に見られた安保関連法をめぐる論争のなかで、いくつもの疑問を感じたことを契機として、書き上げることになった。その疑問の一つは、政治的な議論をする際の誠実さについてである。
一九九二年六月のPKO協力法成立の際には、厳しくその法律の成立過程とその内容を批判していた朝日新聞や毎日新聞は、いつからPKO協力法への批判をやめたのだろう。
また、当時の社会党、現在の社民党は安保関連法へも激しい批判を浴びせていたが、自衛隊違憲論の旗をいつ降ろして、PKO協力法廃止の運動をいつやめたのだろうか。いつから、PKO協力法は「危険」でなくなったのか。いつから、PKO協力法に基づいて自衛隊を海外に派遣することについて、憲法解釈上の疑念がなくなったのだろうか。
PKO協力法の際には、自衛隊の海外派遣が、それ以前の戦後日本の平和主義を破壊すると懸念され、従来の憲法解釈の変更であると批判されていた。現在は、同じようにして、安保関連法が立憲主義の否定であると批判され、これによって戦後日本の平和主義が転換したと論評されている。
二〇一五年七月一一日の朝日新聞朝刊では、「憲法学者ら一二二人回答 『違憲』一〇四人『合憲』二人」との見出しで、憲法学者へのアンケートの結果を報じていた。ところが、紙面版記事からは、「現在自衛隊の存在は違憲と考えますか?」というアンケートに対して、全体の六三%にあたる七七人が、「憲法違反にあたる」あるいは「憲法違反の可能性がある」と返答している結果は、なぜか削られている。そして、「憲法九条の改正についてどう考えるか?」という質問に対しては、「改正の必要はない」と応えたのが、全体の八一%にあたる九九人であった。
すなわち、憲法学者の多数は、このアンケート調査によれば、自衛隊を「違憲」とみなしながら、その違憲状態が続くような状況を変える必要がないと考えているのである。立憲主義の観点からすれば、違憲状態を放置することを憲法学者の多数が好ましいと考えることを、どのように理解すればよいのか。自衛隊を違憲ととらえながらも、憲法改正の必要がないと説くことは、違憲状態を許容することを意味して、立憲主義にとっての脅威になるのではないか。論理的に考えれば、自衛隊を合憲とみなすのであれば憲法九条の改正は必要ないであろうし、自衛隊を違憲とみなすのであれば憲法九条を改正するか、あるいは自衛隊を廃止するかいずれかの主張を選択するべきであろう。
憲法学者の多くが、今回の安倍政権による憲法解釈の変更を立憲主義の否定ととらえている。しかしながら、彼らの大半は、政府が憲法解釈を変更すること自体には、反対していない。それでは、どのような場合に憲法解釈の変更が「立憲主義の否定」になるのか。あるいは、メディアの過去二〇年間における、自衛隊のPKO参加に対する立場の変化、そしてかつては自衛隊違憲論が大勢であったのに、個別的自衛権の行使を合憲とみなし、自衛隊の廃止を主張しない姿勢。これらをどのように考えればいいのか。
オーウェルの怒り
メディアや知識人が目立たぬかたちで立場を転換することや、イデオロギー的な偏向に基づいて報道をしていることは、二〇世紀を代表するイギリスの作家、ジョージ・オーウェルが最も嫌悪したものであった。そのような嫌悪感が、オーウェルの政治評論ではしばしば噴出している。
かつては、イギリスの帝国主義、そしてファシズムやナチズムを嫌悪していたオーウェルであったが、スペイン内戦への義勇軍としての参戦の経験を経て、イギリスの左派系新聞やメディア、知識人があまりにも現場を知らず、あまりにも無責任な言論を繰り返すことに憤りを感じた。しだいに、そもそも社会民主主義に強い共感を示していたオーウェルは、真実をねじ曲げて、非人道的な政治を顧みることのないソ連全体主義への敵意を募らせていった。その結果、オーウェルは左派系メディアから敬遠される存在となってしまった。当時は、多くの左派系メディアや知識人が、ソ連の社会主義体制を理想的なものと観て、一定ていどの共感を示していたからである。
オーウェルは、そのようなメディアの偽善と不誠実さに怒りを感じた。かつては、戦争を嫌悪して、平和的に紛争を解決することを絶対的な正義として語っていた左派系新聞が、スペイン内戦がはじまるとむしろ、ファシズムに対して武器を取って戦うことを煽(あお)るようになったからである。暴力を用いてでも、社会主義の理念が実現されるべきと考えていたのだ。それゆえ、オーウェルは「スペイン戦争回顧」と題するエッセイにおいて、次のようにその怒りをぶつけている。
「イギリスのインテリがただひとつ信じていたものがあるとすれば、それは戦争に対する暴露的解釈、つまり戦争とは死体や便所ばかりで、なんのよい結果も生まないという説であっ た。ところが、一九三三年には、状況によって祖国のために戦う覚悟だなどと言えば憐れむような冷笑を浮かべたその同じ連中が、一九三七年には、負傷したばかりの兵士が戦線に戻ら せろと叫んでいるという『ニュー・マスィズ』の記事はまゆつばものだなどと人が言えば、たちまちトロツキー=ファシストだと言ってきめつけたのである。しかも左翼インテリがこうした『戦争は地獄』から『戦争は栄光』への切り替えをするに当たって、なんら矛盾を認識しなかったばかりか、中間過程といったものさえほとんどなかったのである。その後も、彼らの大部分は何度か同様の大転換をやってのけた」(『オーウェル評論集1 象を撃つ〔新装版〕』川端康雄編、平凡社、二〇〇九年所収、六〇-六一頁)
オーウェルの言葉は激しい。オーウェルは、イギリス国内の軽薄で不誠実な、ころころと立場を変える左派系メディアに対する軽蔑を隠さなかった。オーウェルは、スペイン内戦において、共産主義者の残虐な行為が覆い隠され、歪められて報道されている様子を見て、そのジャーナリストについて次のような皮肉を語っている。すなわち、「私ははじめて、嘘をつくことが職業である人物に出会ったが、なんとその人のことを人々はジャーナリストと呼んでいるのだ」。
現実への無知
オクスフォード大学教授の歴史家であるティモシー・ガートン・アッシュは、オーウェルの政治評論集の序文の中で、オーウェルがこのように書いたのは、「彼が自らの目で見てきた現実を、イギリスの左派系新聞全般が、歪めたかたちで報道していることへの嫌悪感の反映であった」という(Timothy Garton Ash,“Introducion”,Peter Davison, Orwell and Politics〔London: Penguin, 2001〕, p. xii)。 ガートン・アッシュによれば、オーウェルが最も嫌悪していたのは、「おそらくは暴力や専制である以上に、不誠実であった」という。ではなぜ、新聞はそのように、偽善的で、安易に立場を転換し、不誠実になったのか。ガートン・アッシュによれば、「新聞や、ラジオや、テレビにおいて事実が歪められて報じられるのは、部分的には覆い隠されたイデオロギー的な偏向がそこにはあるからであり、同時に、商業的な競争や、読者や視聴者を『楽しませる』という冷酷な必要性があるからであろう」。
そして、そのような記事を通じて、一般の人々がそこで報じられている内容を「正義」と思い込み、義憤に駆られ、感情的な判断をするようになる。オーウェルは語る。
「大衆に関するかぎりは、最近しばしば見られる世論の急激な転換も、スイッチのように点滅する感情も、新聞やラジオによる催眠作用の結果である。しかしインテリの場合は、それは金と身の安全が保障されているためだと言えよう。彼らはときによって『主戦』になったり『反戦』になったりするが、いずれの場合にも、現実の戦争がどういうものか知らないのである」(「スペイン戦争回顧」前掲『オーウェル評論集』六一頁)
オーウェルは、戦争の現場を知り、その悲惨さを自ら体験した。だからこそ、現場を知らずにロンドンで安易な言葉を並べる左派系メディアに、強い怒りを感じたのであろう。
それでは、われわれはいま、どのような時代に生きているのか。そして、日本のメディアは現実に存在する安全保障環境を適切に理解して、それを自らの政治的イデオロギーや、政治的立場とは切り離して、冷静かつバランスよく報道しているのだろうか。
二一世紀の世界に生きる
われわれはいま、新しい二一世紀の時代に生きている。それは、七〇年以上前の、国民が総動員体制により徴兵制を通じて戦争に動員されて、悲惨で非人道的な戦闘を行った太平洋戦争の時代とは異なる。二一世紀の世界では、主要国が協力して国際テロリスト・ネットワークに対抗する必要が生じて、各国の軍が対テロ政策の情報を共有し、国境を越えた脅威に対応するための国際協調を深めることが不可欠となっているのだ。そして、こうした新しい時代にふさわしいように、従来の安全保障法制を整備しなおすことが、今回の安保関連法の主たる目的であったのだ。そのような日本政府の行動を、国際社会が歓迎するのは当然である。
また、われわれは、各国の装備がネットワーク化されて、それがつながることで多様な情報を共有し、効率的に危機へ対処することが必要な時代を生きている。ネットワークによって結びつけられた、いわゆる「ネットワーク・セントリック・ウォーフェア(NCW)」の時代に必要なのは、各国が必要な情報を提供し、それを共有することで、強固な国際協調体制を確立して、それにより国際社会において平和と安定を維持することである。
だが、そのような国際協調を進める上で、対テロ政策に関する情報を共有するだけでも、相手側が紛争当事国である場合は「武力行使との一体化」となってしまうことがある。従来の解釈では集団的自衛権の行使と評価されることにより、憲法違反とされかねない。
テロリズムを企てる国際テロリスト・ネットワークの活動に関する情報を共有するだけで、どうしてそれが集団的自衛権の行使となり、憲法違反となり、戦争へ進む道となるのか。そのような情報を入手できないことで、テロリストが日本国内で大規模なテロリズムを実行するのを看過することが、本当に「平和主義」の名に値するのか。そのようなテロリズムが東京で起きたときに、それを阻止するための法整備を食い止めた「平和主義」の運動をする人々は、それによる人命の損失の責任をとれるのか。われわれは、新しい時代に生きている。一国主義的な思考を脱ぎ捨てて、新しい時代にふさわしい思考を備えることが重要だ。
一九四五年の太平洋戦争の時代に止まるのではなく、また一九九二年六月のPKO協力法案に「牛歩戦術」で抵抗した時代に止まるのでもなく、二〇一六年という現在の時代へ、つまり未来の世界へと戻ってこようではないか。まさに「バック・トゥー・ザ・フューチャー」である。
「催眠作用」から覚醒せよ
それでは、現代の世界でどのように平和を実現すべきか。そして、自国の安全をどのように確保すべきなのか。日本の安全保障を考えるうえで、冷戦時代と何が同じで、そして冷戦後には何が変わったのか。これらを考えることが、本書の重要な目的である。
より具体的には、二〇一五年九月一九日に成立して、その半年ほどのちの二〇一六年三月二九日に発効した安保関連法が、日本の安全保障と東アジアの平和にどのような変化をもたらし、それを受けてどのように今後の平和と安全保障を考えるべきなのかについて、いくつかの示唆を提供することを目指したい。
一部のメディアや知識人が論じていたように、本当に安保関連法は立憲主義の否定なのだろうか。本当にそれによって、日本は安全を損なうことになるのだろうか。本当にこれから自衛隊は、頻繁にアメリカの要請によって海外で戦争を繰り返すことになり、それによっておびただしい数の日本の若者が戦場に送られることになるのだろうか。そして、日本政府は本当に、徴兵制を企てていて、国民を戦争に動員することを目指しているのだろうか。
オーウェルは、一九三〇年代のイギリスの新聞や知識人が、事実を歪めて報道して、「覆い隠されたイデオロギー的偏向」を読者に浸透させることを優先する現実に、強い軽蔑の感情と疑念を示した。そして、そのようなメディアや知識人の言葉に不信感を抱き、「新聞やラジオによる催眠作用」で、人々が感情にまかせて政治を語る様子を批判した。
オーウェルは「なぜ私は書くか」というエッセイのなかで、次のような言葉を記している。「私が本を書くのは、あばきたいと思う何らかの.があるからであり、注意をひきたい何らかの事実があるからであり、真っ先に思うのは人に聞いてもらうことである」(前掲『オーウェル評論集』一一七頁)。
政府は嘘をつくことがある。同時に、新聞などのメディアも嘘をつくことがある。われわれは、そのどちらの嘘も見抜く力を身につけなければならない。二〇一五年に繰り広げられた安保論争は何だったのか。ほんとうに真実が語られていたのか。それを振り返ることは、それなりに意味のあることではないだろうか。
本書では、そのような問題意識を背景として、歴史的視野から、平和のための条件、そしてあるべき日本の安全保障政策を考えていきたい。