――「闇」の変奏曲としての中世日本絵画
橋本麻里 今日は語り手も女性ですし、日本美術というと、大抵会場が女性で埋まるのが常なので、女子会みたいになるかなと思っていましたが、意外と男性の密度が多いような……。いつも女子大で教えていらっしゃる山本さんにとっては、特に(笑)?
山本聡美 はい、ちょっと見慣れない風景になっています(笑)。
橋本 それではさっそく、ご著書『闇の日本美術』について、お話を伺っていきたいと思います。もうお読みになった方はおわかりだと思いますが、ウェブでの連載に、プロローグとエピローグを加筆されて、闇から始まり光で終わる一冊です。
心の中に溜めているのが耐えられないので、私の読後感を先に話させてください(笑)。
光と闇というのは、仏教が日本に入ってくることによって、仏教の光、真理の光 が日本に差しますが、光が当たったからこそ生まれた闇もまたあります。こうして日本人が抱くようになった闇について解説されたのが、このご著書です。
闇は人の恐れから生まれます。その恐れはどういうところに発するのか。本書で語られるのは、貴族や王権の恐れ、それから、武士、武家政権の恐れ、そして、武家と公家とを問わず、男性が抱いていた、他者としての女性に対する恐れ。そういったものが大きなテーマとして出てきます。
このテーマが闇と光を伴って繰り返し現れる。公家の話をしていたところにちらっと武家の恐れが出てきたり、あるいは、女性についての恐れを語っていたところで武士たちの話が出てきたり、いろいろなかたちで三つのテーマが繰り返しかたちを変え、入り組みながら登場する。その様が、ゴルトベルク変奏曲のようですねと、先ほど控室で話していました。
万華鏡のように、同じモチーフが繰り返し変奏されながら続いていく。それが、この本の最大の魅力だなと思いながら読みました。ああ、言ってすっきりした(笑)。
山本 きれいな喩えをしていただいて、ありがとうございます。確かに、一つのテーマがあらゆる作品を通じて繰り返し語られるのは、私の癖のようなものかもしれません。私の専門は日本美術史、中世絵画史、仏教絵画史なのですが、色々な作品を見ていても、結局のところは自分に立ち返ってきているのかな、と(笑)。自分が抱えている問題であるとか、迷いであるとか、恐れであるとか、そういったものが古い絵画を見て、自分の中に顕在化してくるというのが、私にとっての美術史なのです。それを繰り返しやっている。
本書の元は、ウェブで月に2回連載させていただいていた原稿です。2週間ごとに締め切りがやってくるのです。締め切りという強制力に背中を押されて、えいやっと書くと、自分が本当に言いたかったこととか、日頃学生に対して教えるには憚られると思って違う言い方をしていたことが、ぎゅーっと絞り出されるように出てきた。そのことを、繰り返しさまざまな言い方で一定のテーマが出てくる変奏曲のようだ、ととてもうまい喩えをしてくださいました。
そうだとすれば本書は、研究者としての私と、ウェブという連載のかたち、それを駆動してくれた編集者の力、それを1冊の本にまとめる、……という一連のプロセスの中でできたものだと思います。
――衝撃的な展覧会のレポート集
橋本 ウェブの連載で原稿を書きためられたとおっしゃいました。本書は、2017年の日本美術界のジャーナリスティックな報告というか、解説というか、そういうものにもなっていますよね。
その時期には奈良国立博物館での「源信」展、サントリー美術館での「絵巻マニア列伝」展など、大きな反響を得た展覧会がいくつかあったのですが、少し先んじて読者に紹介したり、そこで実際に得られた知見などが反映されてもいる、展覧会レビューとしての側面もあるのかな、と感じました。
山本 ウェブという媒体でしたから、それを読んでくださった方が、もしかするとその展覧会に行ってくれるかもしれない、と思いながら書きました。この連載を入り口にして、次のアクションを起こしていただきたいなっていう。
研究者としての私が何かをキャッチして、すごく面白いと思った。で、私自身の言葉で投げかけることによって、次の面白い連鎖が起きたらいいな、と期待しながら。
特に、先ほども挙げてくれました2017年4月に行われたサントリー美術館の「絵巻マニア列伝」展であるとか、これはもう展覧会のタイトルそのものがそそられますが(笑)、夏に奈良博で行われた「源信」展だとか、秋に和歌山県立博物館でやっていた「道成寺と日高川」展だとか、そういう、ちょっと癖のある展覧会、単館で開催していて、学芸員の思いや執念が織り込まれていて、……
橋本 (笑)。
山本 ここにしか集まらないような作品が集められているという空間は、美術史家としての私にとってはとても重要なもので、それがあるからこそ、こういったテキストを書いて、作品と私と、そして読者の皆さんをつないでいくような場が生まれてくる。そう考えると、それもまたわくわくする作業で、そんなことも狙ってみながら書いていました。
橋本 それが1冊の本にまとまったとき、ジャーナリスティックな側面の魅力が失われてしまうかというと、そんなことはありませんでした。まとめて読むと、そうか、これはあのときの展覧会の、こういう部分についての言及だ、ということが、むしろ分かってくる。
展覧会は一時的に作品が集められ、また離散していくものです。どうしても一時的な催しであることは避けられないのですが、それを見られなかったことが、必ずしもマイナスポイントになるわけではありません。本書には、山本聡美さんによってキュレーションされた一つの展覧会という側面もある。これから先、ここに掲載された作品を見る機会があるはずですから、そこでまた新たに出会い直してもらえれば、十分に間に合います。
山本 おっしゃるとおりですね。学生にもよく言っていますが、東京で10年も展覧会を見続けていれば、日本美術のどんな作品にも絶対出会えると思います。
橋本 はい、大体いけます。
山本 もうこれは無理だ、秘仏だ何だ、と言われているものもありますが、学生の頃からずっと追っていていまだに見られなくて悔しいというものは、そんなにはないと思います。ともかく見続けて、追いかけ続けていれば、作品は逃げない。いつか、私たちの前に現れてくれる。その日のために一生懸命勉強しなさい、と学生には言っているのです。
橋本 (笑)。