不可抗力だと分かってはいても、YouTubeに自分達の動画を勝手にアップロードされるのはあまり気持ちの良いものではない。「この番組に向けて」「この時間帯のオンエアだから」など、今このネタを選んだ様々な意図などおかまいなしに、芸人のネタは知らない人の手によって、あのフードコートのように好きなものが選べる場所で、いつでも食べられるファーストフードと化していく。
しかし本当のことを言うと、どの芸人も元はといえばただのお笑いが大好きなガキである。数年前のあの人のあのネタ、師匠が若い時のキレキレのコント、一度は生で見たかった今は亡きあのコンビの伝説の漫才、そんなものを夜中に見られるのは正直嬉しい。もちろん需要があるから供給が生まれる。供給だけを否定することはできない。悩ましいところだ。
かくして無念にも深夜の動画視聴がルーティンになってしまうわけであるが、そこで出会ったとても素敵なセリフがある。お笑いコンビ「高僧・野々村」さんの
「イルカも泳ぐわい。」
である。これだけでは何の事か分からない。1995〜97年にABC(朝日放送)で放送されていた「すんげー! Best10」というお笑い番組で披露された、漫才の中での一言である。私がおそらく小学校にあがるかあがらないかという頃で、リアルタイムでは見ていない。
二人は子どもの頃に流行った引っかけクイズをしている。
「あんまん・コーヒー・ライターって続けて言って」
「あんまんコーヒーライターあんまんコーヒーライター」
「ほら、やらしくなった」
「あー、じゃあ、今日・コーヒー・飲んだって続けて言って」
「今日コーヒー飲んだ今日コーヒー飲んだ」
「やー引っかかった!」
「何が?」
「飲んだん?」
「いや?」
「言ったやん今日コーヒー飲んだって」
「ちゃうやん! そんなもん普通やん」
「そうか」
「そらコーヒーも飲むわい、イルカも泳ぐわい。」
私はこのイルカだけでご飯三杯はいける。ツッコミセリフであり、なおかつ確実にウケを狙いにいっている箇所ではないので、笑いが起こるかどうかという話ではない。なんの脈絡もなく発せられたこの言葉に、得もいわれぬ漫才の色気を感じたのだ。
「コーヒーを飲む」ということの凡庸さを伝えるのに、「なんもおかしないやろ」という代わりに「イルカも泳ぐわい」という、なんとも気持ちの良い距離がある言葉で形容している。それが流れるように発せられていて、うっかり聞き漏らしそうになるところもまた良い。これが大きい声で「風呂も入るわい」だと全然ダメだ。近すぎる。「アメリカ人は銃持つわい」だと怖すぎる。
そもそも、「言わなくてもいい」言葉である。いや、漫才自体が基本的に言わなくてもいいことの塊なのだが、ここでいう「言わなくてもいい」というのは、例えばコンテストのためにネタをブラッシュアップする過程で、失くしてしまう部分だったりする。勝負をするときには、有効打か否かが重要視される。でもその部分が美味しかったりする。ホルモンみたいなものかも知れない。お客さんにそればかり出しても、さほど食べた気になってもらえない。でももし漫才中に相方がアドリブで「イルカも泳ぐわい」をくれたら、帰り道にジュースをおごってしまうかもしれない。
不必要なものだけを堪能できるようになれば、それは最高の娯楽になるはずだと、私は信じている。娯楽の中の娯楽。「どういう意味ですか?」という言葉は仕事場に置いていこう。休日にまでそんな言葉を吐かなくったっていい。ぜひよければ、心に一畳だけ、無駄を受け入れるスペースを作って劇場に来てほしい。そうすればもっと色んなタイプの芸人を好きになってもらえると思う。
それにしても、今日は食べ物の例えが多くなってしまった。お腹が減っている。売れていないという意味である。
次回の更新は6月27日(水)です