科学はヒトが幸福になるためにある――。これは間違いないことです。しかし、この目標は、いうほど簡単に達成できるわけではありません。なぜなら「幸せとは何か」という重厚な問いの上に成立しているからです。
ヒトにとって幸せとは何だろう――。ヒントになる本がないかと書店を巡っていたところ、ぴったりな書名を見つけました。『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』(青山拓央著・太田出版)です。その通り! 「幸せ」を問うことは哲学なのです。迷わず手にしてレジへ。一気に読みました。いや、哲学書を読み慣れていない私が一気に読めてしまうほど、平易な言葉と適切な例示に満ちた本だったのです。そして気づきました。これまで私は、「幸せ」という単語を、なんと安易に使ってきたのか、と。幸せについて、実は、これっぽっちも考えていなかったことを知り、愕然としました。
「幸せ」には条件や基準などというものはなく、幸せについて語ること自体が行為として矛盾しているのです。幸せの構造を分析することは空疎です。しかし、本書を読めば、それでもなお幸せの分析は意味のある行為であることがわかります。メビウスの輪のような「幸せ」像ですが、実に実のある本でした。
と同時に、愕然とした私の精神のバランスを取る必要も感じます。抽象世界から一気に離れて、正反対とも言えるような本を手に取りました。書名からしてとんでもなく下世話臭を放つ『恋愛を数学する』(ハンナ・フライ著・森本元太郎訳・朝日出版社)です。また一気に読みました。しかし今回はゲラゲラと大笑いしながら。
なにせ冒頭から、独身の数学者ピーター・バッカスが『なぜ僕に彼女ができないのか』と題した論文を書いたエピソードの紹介から始まるのです。宇宙空間で生命体に遭遇する確率を記述した有名な「ドレイクの方程式」を、理想の恋人に応用し、「いかに身近で運命の人と出会うことが難しいか」を数学的に証明(?)した論文です。いってみれば自分がまだ独身であることを弁明してみせたギャグですが、論文発表後まもなく、彼は結婚相手に出会い、自説の誤りを身を以て証明しています。
そんな話題を契機に、行動経済学、ゲーム理論、複雑系、最適化理論など、新しいタイプの数学を駆使しながら、「どうしたら出会うことができるのか」「デートではどこに金を掛けるべきか」「結婚するまでに何人ふるべきか」など、誰もが知りたくなる疑問に一定の答えを与えています。いずれもソフトな解説で抱腹絶倒です。ただし中学生レベルの数学の知識は必要なことは申し添えておきましょう。
かつてSNSに私が書いた文章から引用します。
「幸せとは何かを問うことができるのはヒトの才能です。しかし本当にヒトは幸せなのでしょうか。常に会話を欲し、愛を欲し、金を欲し、欲情し、空気を吸う。そんなものに依存しない生物は多くいるし、むしろ、煩悩フリーな彼らこそが地球を席巻しています。幸せの価値さえ無意味化する大腸菌の完璧な生き様に人類は劣等感を覚え嫉妬する。もし、あなたが大腸菌に嫉妬しなかったら、その思慮なき鈍感さこそ、あなたが幸せであることの証拠です」(一部改変)。
まさに!
私はつくづくおめでたい生き物のようです。だって、こんな対照的な両書を、思慮なしに楽しむことができるのですから。