ちくま新書

「偏見がない」では差別はなくならない理由

最近よく目にする「LGBT」という4文字。その意味を正確に知っていますか? なんとなく知っているつもりではなく、ちゃんと理解するための一冊、3月刊のちくま新書『LGBTを読みとく』(森山至貴著)の「はじめに」を公開します。

 性の多様性について大学で研究していると、私の講義の受講生のリアクションペーパーや、学会発表や講演の後の聴衆の質疑などから、性の多様性、特にセクシュアルマイノリティ(性的少数者。この言葉については第一章で説明します)に関するさまざまな反応を知ることができます。
 そのような反応の中には、「あ、この人は本心ではセクシュアルマイノリティを見下しているんだな」と思えるものと、「あ、この人はセクシュアルマイノリティを傷つけないためにはどうしたらよいかを本当に真剣に考えているんだな」と思えるものがあります。
あくまで個人的な経験則にすぎませんが、両者の違いがどの辺りにあるのか、もう少し掘り下げてみます。
 意外かもしれませんが、セクシュアルマイノリティを見下す心が見え隠れする人がよく使う枕詞は「私はセクシュアルマイノリティに対する偏見を持っていませんが……」です。
 曲者なのは最後の「(逆接の)が」で、当然ながらその後に続くのは質問や疑問の体をとったセクシュアルマイノリティへの否定的な言葉です。それが否定的なニュアンスを持つものだからこそ「偏見ではない」と前置きで宣言するわけですが、宣言すれば「偏見」でなくなるわけでは当然ありません。文句は言いたいが自分が「善人」であることは手放したくないという本音が透けて見えている辺り、むしろ痛々しくすらあります。
 他方、セクシュアルマイノリティを傷つけたくないと心から考えている人がよく口にするのは、「何が偏見なのか自分はわかっていないかもしれない」という不安です。大事なのは自分に傷つける意図がないことではなく、相手が傷つかないことだ、と直感的にわかっている人は、それゆえに意図せず他者を傷つけることに敏感になります。しかし、その敏感な意識そのものは他者を傷つけないことを保証してはくれず、それゆえ敏感な人ほどこの不安を抱え続けることになります。
 ここからうまく抜け出るために重要な一歩が、「何を知っていれば他者を傷つけないで済むのだろうか」という問いです。「知っていれば他者を傷つけずに済むことがあれば知っておきたい」というのは、とても前向きな考え方だと私は思います。
 ここまではどちらかというとマジョリティ(多数派)の側の反応でしたが、セクシュアルマイノリティの当事者からもさまざまな反応をもらいます。
 少し信用ならないなと思うのは、「私もセクシュアルマイノリティだからあなたの話やあなたの気持ちがよくわかる」と他のセクシュアルマイノリティに対して言い切ってしまう人です(ごくたまにしかいませんが)。セクシュアルマイノリティがこの社会の中で感じる生きづらさ、心ない言葉に傷ついた時のあの感覚は、確かに共有できるかもしれません。
 しかし、セクシュアルマイノリティといってもさまざまな人がいますし、それぞれの人が抱える苦しみや痛みの形も同じくさまざまです。それを全く知ろうとせずに「共感」するのは、私にはとても乱暴な行為に思えます。
 他方で、全く逆に「私は自分とは異なる性のあり方を生きる他のセクシュアルマイノリティのことを何も知らない」という反応を受け取ることもあります。特にセクシュアルマイノリティで私の講義を受講している学生にこの反応が多いです。そしてそのような学生たちは、「授業を通じて知ることができてよかった」「もっと知りたい」という教師冥利に尽きる感想を寄せてくれることもしばしばです。もちろん、私の授業が巧みだからというわけではなく、セクシュアルマイノリティの学生自身が知識に飢えているからでしょう。
 ごく限られた範囲の経験から導き出された印象ではありますが、「善人アピール」や安易な「共感」への飛びつきはあまり褒められたものではなく、「もっときちんと知りたい」という欲求の方がよほど貴い、ということになります。
 期待と、いくばくかの確信を持って断言してしまいますが、本書を手に取った方の動機もまさに「もっときちんと知りたい」というものではないでしょうか。身近なセクシュアルマイノリティの友人知人と接するためであれ、ひとまずは知的好奇心を満たすためであれ、その欲求に応えることができれば、おそらく世の中は良くなりこそすれ悪くなることはないでしょう。
 しかし、マジョリティであるかマイノリティであるかにかかわらず(そして両者の境界は思いのほか曖昧でもあるので)、多様なセクシュアルマイノリティに関して一通りの知識を得ることはなかなかに骨が折れる作業です。一方であまりに基礎的な事柄に絞れば「暗記科目」のようになりかねませんし、他方で基礎知識を前提にした高度な議論に特化すれば、あまりにも多くの読者を振り落としてしまいます。
 そこで、セクシュアルマイノリティについて全く知らなくても読むことができて、セクシュアルマイノリティに関する最先端の知見や現代的な諸問題にも対応できる本を本書は目指すことにしました。一冊の中でかなりの急勾配をのぼることにはなりますが、途中に道のない密林や理不尽な崖登りがないよう努めました。
 本書の肝となるのは、クィア・スタディーズという、性の多様性を扱うための比較的新しい学問領域です。クィア・スタディーズには、それまでの多様な性のあり方に関する研究にはなかった基本的発想や、それに基づいて生まれたいくつもの重要なキーワードがあります。現代の多様な性のあり方を分析するのにこれらの道具立てが「使える」ことを示すことが、本書のゴール地点です。ここまで達することができれば、かなりハードルの高い「もっときちんと知りたい」という欲求にも応えることができるはずです。

 本書の構成を簡単に紹介しておきます。
 第一章から第四章までは準備編です。クィア・スタディーズというそれなりに歯ごたえのある学問分野の説明に入る前に、まずは多様な性とその捉え方について押さえておいてほしい知識をダイジェストで紹介していきます。
 第一章では多様な性を捉えるのになぜ学問というアプローチが有効なのかを、具体的なエピソードをとりあげつつ説明します。必要なのは良心(だけ)ではなく知識、という本書全体の、そして私自身のスタンスをなるべくわかりやすくお伝えします。
 第二章では多様な性のあり方を整理します。性的指向と性自認という概念を中心に、誤解されがちな多様な性のあり方を正しく理解することを目指します。最終的には多様な性が「LGBT」という言葉だけでは括りきれないこともわかるようになるはずです。
 第三章では同性愛の歴史をかいつまんで紹介します。同性愛という概念が現在のような形をとるまでには、否定的なイメージをめぐるさまざまなやりとりや、当事者の長い苦闘の歴史がありました。同性愛という概念の定義は、そのような歴史の中で揺らぎながら最終的に現在の形に落ち着いたものです。したがって、歴史を追いかけることは、同性愛に関する誤解が解かれその概念が整理されていく過程を追体験することを意味します。この作業によって、第二章の知識はさらに補強されることになります。
 第四章では、トランスジェンダーの歴史を追いかけます。トランスジェンダーの歴史においては、同性愛とは異なる性のあり方としてのトランスジェンダーという概念を明確にしていくことが重要視されました。このプロセスを知ることで、混同されがちな同性愛とトランスジェンダーの違いがさらに明確に理解できるはずです。
 第五章と第六章は基本編です。クィア・スタディーズという学問について、知っておいてほしい最重要の知見を紹介します。
 第五章では、クィア・スタディーズがどのように生まれ、その基本的な視座はどのようなものかを説明します。クィア・スタディーズという新しい学問が生まれるには、それが必要とされるに至る当時の時代状況の理解が不可欠です。当時の時代状況を概観し、その状況を受け止めて生まれたクィア・スタディーズがどのような発想をその根本に持っているかを説明します。
 第六章では、クィア・スタディーズにおいて頻出するいくつかの用語を解説し、クィア・スタディーズがどのような問題にどのようなアプローチで取り組んできたのかを紹介します。「新しい」といってもクィア・スタディーズはすでに四半世紀の歴史を持つ学問です。考え方の洗練や、より新しい問題に取り組むための概念の創出など、重要な変化をいくつも経験しています。その流れを概観します。
 第七章は応用編です。第五章と第六章で手に入れたクィア・スタディーズの基本的発想と頻出する用語を携えて、現代日本の性の多様性に関して議論していきます。具体的には、同性婚をめぐる問題と、性同一性障害をめぐる問題を、クィア・スタディーズの視座から考えてみることになります。
 最終章の第八章では、クィア・スタディーズの基本を習得した読者に多様な性を現実の世界の中で考えてもらうため、本書の中と外とを橋渡しします。具体的には、多様な性をクィア・スタディーズの視座から考えるためのいくつかのコツを紹介していきます。

 言わずもがなのことではありますが、本はどこからどのように読もうと自由です。例えば、多様な性のあり方について一定の知識を持っている人は、第五章以降のみを読むのでもかまわないと思います。「LGBT」について知りたい人は、第二章を読んで次に第七章を読むのも可能でしょう(その上で「「LGBT」だけ分かっても仕方がない」と気づいて他の章も読んでもらえれば、私の思惑通りということになります)。全くの予備知識がない人も、頭から順番に読んで理解していけば最後までたどり着けるようになっているはずですので、心配はいりません。
 では、さっそくはじめましょう。

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