冒頭、スーという女性の死があって、これはミステリー、あるいはサスペンスなのかと読み進めると、小説の舞台は「タウン」と呼ばれる、企業なのか国家なのかわからない、世界でいちばん異常な都市国家だと明らかになる。そこは住民資格が厳しく、資本や技術、専門知識がなければ国民として受け入れてもらえない国。そして住民資格がない人たちが暮らす、抜け穴のような場所、サハマンション。この設定からして、これはSFで、ディストピア小説でもあるのか、これからどのように展開するのかと、ページをめくる手が止まらなくなる。
スーの殺人事件にかかわったと疑われるトギョンと、その姉のジンギョン。バーに勤める女性サラ、行方不明になる子どもイア、体格が特殊なウミ、管理人のじいさま、花ばあさん。物語は、サハマンションに暮らすさまざまなひとびとを描きながら、群像劇として走り出す。そこには、現代社会を映し出す構造的な労働搾取や軍事政権下の民主化闘争(具体的には光州事件など)の記憶がメタファーとしてちりばめられている。ひとりひとりの背景は重く、複雑である。欲を言えば、各登場人物のエピソードをもっと読みたかった。それこそ、それぞれが一冊の小説になりそうだ。
『サハマンション』は、チョ・ナムジュ氏が、『82年生まれ、キム・ジヨン』を世に出す前から構想を温め、執筆していた小説だと聞いて、この小説の密度の濃さに納得した。私も書き手の一人として歩むなかで、似たような経過があった。最初の(未刊行の)小説には、書きたい要素をすべて詰め込んだ。いまあらためて読み返してみると、「てんこ盛り」だ。私はその小説を基にし、分解して、いくつかの要素を抽出し、何冊かの小説を作り上げた。
チョ・ナムジュ氏も、この小説に詰め込んだあまたの要素を抽出して、ほかの小説にしていったのではないか。たとえば、『82年生まれ、キム・ジヨン』で描いた女性の生きづらさは、本作にその萌芽が見られる。そして『サハマンション』を書き直し、 年月が過ぎて刊行するに至ったことで、逆に、キム・ジヨンの結末から何歩も踏み出したラストになったのではないだろうか。『彼女の名前は』でももちろん、キム・ジヨンから一歩進み、現状を活写するにとどまらず、抗い、闘う女性たちが出てくるが、『サハマンション』の女性はさらに戦闘モードで激しい。だから自ずと物語は、終盤に向けてかなりエンターテイメント的な味付けとなったのかもしれない。この小説の後半の肌触りは、ハードボイルド小説のようでもある。
本作は、一冊で何冊か分の彩を感じることができる。ミステリー、サスペンス、SFディストピア、群像劇、ハードボイルド。
格差社会のなかで底辺に位置付けられ、搾取されるばかりのひとびとが、互助組織的なつながりを保ちながら暮らすサハマンション。そこで繰り広げられる人間模様は、私たちが生きる極まった資本主義社会のゆがみを照らし出しつつ、ひとびとのつながりを光として描く。これは、現代性を持った普遍的な物語である。人間の価値とは、生きる意味とは、権力のありかとその空虚さを深く考えさせられる。親子、きょうだい、仲間、恋人などといった人間同士の関係性についても問いをつきつけてくる。
この小説を読み終えたとき、私は、理不尽な仕打ちに対して立ち上がる勇気をもらえた。同時に、どこの誰に向かって闘うべきか、を明確に意識した。
読者の方が、この小説からどんなメッセージを受け取るか、それぞれ異なるだろう。それだけ、多くの、重く、大事なメッセージが込められた小説である。