ホロコーストはなぜ起こったのか。600万人にもおよぶユダヤ人の大量殺戮はどうして可能になったのか。この問題に社会学の立場から取り組んだのが、ジグムント・バウマンの手になる本書『近代とホロコースト』である。彼の回答はきわめて明確である。ホロコーストは近代文明の所産であり、近代官僚制の働きがなければ生じえなかったというのだ。「『最終的解決』はいかなる段階においても、効率的・効果的目的遂行という合理主義的行動とは衝突しなかった。逆に、『最終的解決』は本当の合理主義精神から生じ、その精神と目的に忠実な官僚制度によって完成されたのだ」(55頁)。
ヨーロッパには中世より反ユダヤ主義が存在し、各地でユダヤ人への集団的迫害(ポグロム)が生じていたが、国家の主導により数百万規模で大量殺戮が行われたことは一度もなかった。ナチスも1938年の「11月ポグロム(水晶の夜)」でユダヤ人に残虐な暴力をふるったが、東欧の絶滅収容所で行われた「産業的」な虐殺はそれとはまったく異質のものだった。「いくつ〈水晶の夜〉を積み上げてもホロコースト規模の大量殺人は発想できないし、また、実行しえない」(174頁)。数百万人の殺害には激情にかられた暴徒ではなく、合理的な意思決定を行う官僚が必要である。ホロコーストがサディストや狂信者による激情的犯罪ではなく、有能・忠実な官僚による行政的犯罪であったことは今日では常識となっている。官僚制を特徴づける合理主義や効率主義、社会工学的思考、組織的分業は個々人の責任と道徳を周縁に押しやり、大量殺戮を技術的に可能にする。バウマンはこうした点をふまえながら、ホロコーストが前近代的な野蛮への退却ではなく、近代そのものの必然的な帰結であったと主張するのである。
もっとも、バウマンの主張は近年の実証研究の進展によってかなりの部分まで克服されるか、少なくとも相対化されている。1990年代以降の歴史研究は、ナチスの個々の政策に一定の合理性を認めつつも、ホロコーストが全体として行き当たりばったりで、一貫した合理的な政策にもとづいていなかったという見方で一致している。ユダヤ人の虐殺も必ずしも効率的かつ円滑に遂行されたわけではなく、粗暴で手荒なやり方が支配的だった。東欧の死の収容所で組織的・機械的に殺害されたのは600万人の犠牲者のうち半数に満たず、多くの人々は虐殺部隊によって対面で大量射殺されていた。加害者はしばしば無規律に暴力をふるい、犠牲者から金品を略奪することもあった。殺害プロセスの合理性を過大視するバウマンの見方は、アウシュヴィッツに象徴される「死の工場」のイメージに引きずられすぎているように思われる。彼自身、「産業的ジェノサイド」へといたる途上の紆余曲折を認めているが、全体としては合理性の原則が貫徹したという見方をとっているようだ。「長い迫害期間のどの期間をとっても、ホロコーストが合理性の原理と摩擦を起こしたことはなかった」(55頁)。
バウマンは慎重にも、ホロコーストが近代官僚制やその道具的理性によって決定されたとまでは主張せず、近代はホロコーストの必要条件だが、十分条件ではないと留保をつけている。とはいえ、「ホロコーストを想像可能にしたのは近代文明の理性的世界であった」(48頁)という指摘は、ユダヤ人を絶滅するという発想そのものが近代合理主義に由来することを示唆しており、必要条件の枠を超えているように思われる。この点についてはむしろ、ナチズムの非合理的な側面、とりわけ反ユダヤ主義イデオロギーの役割も考慮した上で、それがいかにして合理的・効率的な官僚制の働きと結びつき、野蛮な政策を急進化させていくことになったのかを問うべきだろう。今日のホロコースト研究は、すでにそうした段階にまで達している。本書の最大の意義は、こうした研究の進展に刺激を与えたことにあると言えるかもしれない。
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