世の中ラボ

【第130回】
いまなぜ、石牟礼道子なのか

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2021年2月号より転載。

 石牟礼道子『苦海浄土――わが水俣病』(1969年)を読んだときの衝撃は忘れられない、という人は多いだろう。
 ノンフィクションのような、小説のような、そのどちらでもないような比類のない作風。一九六〇年代に続々と顕在化した四大公害病(水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく)のうち、水俣だけが現在も突出して語られる機会が多いのは、この本と石牟礼道子らの水俣病闘争によるところが大きい。
 その石牟礼道子が他界して二月一〇日で丸三年になる。折しも昨年は、異色の石牟礼道子論が相次いだ。
 うち一冊が米本浩二『魂の邂逅――石牟礼道子と渡辺京二』である。米本は石牟礼道子の評伝(『評伝 石牟礼道子――渚に立つひと』新潮社、2017年)もすでに上梓しているのだが、まだ書き足りないことがあったのだろう。「魂」という語になにか不吉な予感がするんだけど……。まあいいや、ひとまずこの本から読んでみよう。

石牟礼道子は「恋多き女」だった!?
 先に基本的な確認事項から。『魂の邂逅』の記述に沿って紹介しておくと、〈「水俣病闘争」という言葉を広い意味での患者支援運動ととらえるなら、水俣病闘争は現在も継続中である。しかし、一般的には、「水俣病闘争」は石牟礼道子と渡辺京二が主導した一九六九年六月の水俣病裁判の提訴から、判決後の交渉が一段落した一九七三年七月までの、四年を指す〉。
 この本の半分は『苦海浄土』誕生までの軌跡を追ったバックステージものだが、半分は石牟礼道子をめぐる恋愛論だ。
 石牟礼(旧姓吉田)道子は一九二七年、熊本県の天草に生まれた。彼女には一歳下の弟がいた。名前は一。〈長じて恋多き女性となる道子が最初に異性を意識したのは、一である〉と米本はいう。そしてここを起点に米本は、残された作品、日記、手紙などを手がかりに、道子の「恋愛遍歴」を探っていくのだ。
〈道子の人生の重大な局面には必ず伴走者があらわれる。道子自身を壊しかねないドロドロした「魔性」の情念を整序し、創造的エネルギーに変えてしまう〉というのだから尋常ではない。
 最初の「伴走者」として名前があがるのは、一六歳で代用教員になった際の指導教官だった徳永康起。
 次が橋本憲三。女性史家・高群逸枝の夫で妻の執筆活動を献身的に支えた人物である。高群の死後、道子は高群逸枝伝を書くため東京世田谷の橋本憲三宅(森の家)に五か月ほど滞在した。〈憲三は逸枝の面影を道子に重ねていた〉。〈道子は当時四三歳。憲三は七三歳。分別もある憲三が三〇歳年下の道子に夢中になっているのである。道子を逸枝の身代わりとして愛しているのか、それとも石牟礼道子その人を恋慕しているのか、判然としない〉。
 さらに上野英信の名前があがる。道子が所属していた筑豊を拠点とする「サークル村」の中心的な人物で、『地の底の笑い話』などで知られる著名なルポライターである。『苦海浄土』の出版に尽力したのも「海と空のあいだに」というもとのタイトルの変更を促したのも上野である。出版が決まり、二人は東京に赴く。〈ここで微妙な問題が生じる。道子は当時四一歳。英信は四五歳。東京行きの日程は一週間である。二人きりの旅行はお互いの家族など周囲に疑心暗鬼を広げないだろうか〉。二人は互いを憎からず思っており、〈何かきっかけがあれば、どういうことになるかわからない〉という気配を漂わせていた。そして話はこのように続くのだ。
〈徳永康起、橋本憲三、上野英信……。伴走者のバトンは受け渡されてきた。最終的なパートナーとなったのは渡辺京二である〉。〈魂のカウンターパート、支え合う〝魂のかたわれ〟を夢想する道子〉。〈孤独の思いが強まると、おぼれた人のように、すがりつく異性を求めてしまうのかもしれない〉。
「道子の章」と題されたこの第一章で、私はもうゲンナリである。芸能レポーターじゃないんだからさ、仕事や私生活でかかわった男性との関係をいちいち色恋がらみで邪推されたのではたまらない。〈ドロドロした「魔性」の情念〉って何なのさ。加えて「創作の陰に男あり」といわんばかりの筆致。男の手助けがあってはじめて彼女の仕事は成立した、みたいな言い方じゃない? 石牟礼道子は二〇歳で結婚し、石牟礼姓に変わったのだが、夫の弘や息子の道生との関係が書かれていないのも腑に落ちない。
 しかし、渡辺京二の側の「恋愛遍歴」を追い、二人の出会いや闘争の経緯を記しつつ、米本浩二はいうのである。
〈共に〝破滅〟することは互いの了解事項になった。あなたとなら、いつほろんでもいいのだ、という京二の心の声を、道子は、正確に聞き取った。実際にそう伝えたかもしれない。いずれにしても、道子は予感しただろう。いや、京二がそう気持ちを固めるように、道子の方から仕向けたのかもしれなかった。二人して地の果てをさすらって死ぬことは、決して許されることのない幸福である〉。
 何なんですかね、この文学趣味は。そして果てしない妄想は。二人の「魂の邂逅」がどうだったかは知らないが、米本が傍証としてあげる資料から二人の間に何があったかを類推するのは無理がある。男性の異性愛者は年中こんなことを考えているのだろうか。

石牟礼道子の類い希なる共感力
 気持ち悪くなったので別の本に行く。田中優子『苦海・浄土・日本』の副題は「石牟礼道子 もだえ神の精神」。『魂の邂逅』の後で読むと、これは気持ちが晴れるような本である。
〈石牟礼文学は「水俣病」という過酷な状況だけではなく、近代の引き起こした問題群および、一人の日本人女性が抱えたさまざまな苦悩と、その原因である日本社会の問題をも、抱え込んでいた〉と田中は書く。〈そこには日本社会の、江戸時代から近代へ、近代から現代への歴史そのものが見える〉と。
 不知火海に面した水俣は、前近代そのままのような漁業の町だった。そこに近代の最先端というべきチッソ水俣工場がやってきて、水俣は企業城下町になった。田中との対談で石牟礼は〈近代とは何か、ずーっと考えてきました〉と語っている。
 しかし彼女の思想は近代的自我の方向には向かわず、前近代の女性の苦労を身をもって知りながら、女性解放運動にも女性論にも向かわなかった。それはなぜだったのかという田中の問いに石牟礼は答えている。〈女性解放運動というよりは、新しい共同体を作るにはどうすればいいのかと、そういう方向に心が向かいました〉。
 石牟礼が最初に魅了されたのは高群逸枝の『女性の歴史』であり、高群の死後に知己を得た平塚らいてうだった。田中がいう通り、〈らいてうも高群も、私たち女性が解き放たれる場を、近代的自我に求めるのではなく、古代そうであったように、母なる自然界の中にあることに着目した〉人物である。そこに石牟礼道子は共鳴したのだ。〈高群に触発され、母なるもの、普遍につながりたいと、道子は強く切望した。この止みがたい願望こそが、道子の魂を奮い立たせ、これまで自分を動けなくしていた古い因習と決別する勇気となる。長い夜が明けた瞬間である〉。
 これはエコロジカル・フェミニズムに通じる思想だと思うが、道子の思索はさらにその先に行く。長男が入院した水俣の病院で「奇病」の存在を知り、強い衝撃を受ける。そして死にゆく患者たちを見舞ったとき、自分が生きる意味を見いだすのである。それは石牟礼が『春の城』で描いた島原・天草一揆の人々とも重なる。
「もだえ神」とは何か。石牟礼は「悶えてなりとも加勢せんば」という語をよく使った。〈なにもできないけれど、せめて一緒にもだえて、哀しんで、力になりたいという強い気持ち〉のことである。何もできなくても駆けつける。虐げられた人々に寄り添う類い希なる共感力や感応力の持ち主を「もだえ神」と呼ぶならば、『春の城』で描かれた天草四郎は「もだえ神」だったし、石牟礼道子も「もだえ神」だと田中優子はいう。患者の魂が憑依したような『苦海浄土』の文章の秘密の一端が、ちょっとわかった気がしないだろうか。本書の白眉というべき部分だろう。
 水俣病がらみの本として、もう一冊、緒方正人『チッソは私であった』を紹介しておきたい。父親を水俣病で亡くした不知火の漁師・緒方は、当初、チッソを相手に患者認定を要求する運動に加わっていたが、八五年に運動から離れ、患者の認定申請も取り下げた。
 緒方がここで問うているのも「近代とは何か」という問題である。自分の敵はチッソだ、国だと思っていたが〈「私がチッソです」という人はいないし、国を訪ねて行っても「私が国です」という人はいないわけです〉。個人が見えない巨大なシステム。彼が最終的にぶつかったのも、近代の仕組みそのものだった。
 三冊の本の共通点は「魂」をキーワードとして使っていることである。緒方によると水俣では「こやつは魂の入っとらん」「魂を入れて行けぞ」などの形で「魂」という語をよく使うのだそうだ。『魂の邂逅』を読んでいると「魂」とは男女の機微のことかと誤解しそうになるが、田中優子はそれを「もだえ」と読みかえ、緒方正人は近代が切り捨ててきた「命の本質」ととらえる。〈「命の記憶」を喪失した状態であるがゆえに、さまざまな事件が起きているのではないかと思わずにはいられないわけです〉。
 石牟礼道子なら、昨年来の新型コロナウイルス感染症も「近代の病理」という文脈でとらえただろうと田中優子はいう。自然からのしっぺ返しに遭うたびに、人は水俣を思い出す。福島の原発事故の時もそうだった。原始的な病原体で近代のシステムが立ち往生している今の世界を、石牟礼道子ならどう評価しただろう。

【この記事で紹介された本】

『魂の邂逅――石牟礼道子と渡辺京二』
米本浩二、新潮社、2020年、1800円+税

 

〈ともに死ねるところがあるとすれば、それはただバリケードの上でだけ――〉(帯より)。不世出の作家と、熊本発の文芸誌の編集者として彼女の活動を支えた人との五〇年にわたる交遊の記録。著者の思い入れがほとばしりすぎて、ついて行けないところも多いが、じつは何度も推敲を重ねていたなど『苦海浄土』ほかの作品が生まれる経緯を辿った部分はおもしろい。

『苦海・浄土・日本――石牟礼道子 もだえ神の精神』
田中優子、集英社新書、2020年、880円+税

 

〈水俣病から新型コロナウイルスまで 災禍の時代によみがえる世界的文学者の思想〉(帯より)。学生時代から石牟礼道子に私淑し、胎児性水俣病患者とは同世代だという著者が、生前に一度だけ実現した対談や、作品の精読を通して石牟礼思想の真髄に迫った文明論。特に島原・天草一揆を描いた『春の城』の読み解きがすばらしく、『苦海浄土』の背景も含めて納得のゆく指摘が多い。

『チッソは私であった――水俣病の思想』
緒方正人、河出文庫、2020年、1100円+税

 

〈なぜ、加害者を赦すのか――? 分断と対立を乗り越える、病とともに生きる思想〉(帯より)。著者は不知火海の漁師。企業や行政との闘いに身を投じるも、加害者の中にもうひとりの自分を見いだし運動から離脱した。親本は二〇〇一年刊。九本の講演録をもとに構成し、栗原彬との対談、石牟礼道子のエッセイなどを加えた決定版。渡辺京二編。解説は米本浩二。力強い言葉に励まされる。

PR誌ちくま2021年2月号

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