丸屋九兵衛

第30回:多数決ワンダーランドとしての地球。頷くウィッキーさんとヤード・ポンド法の運命

オタク的カテゴリーから学術的分野までカバーする才人にして怪人・丸屋九兵衛が、日々流れる世界中のニュースから注目トピックを取り上げ、独自の切り口で解説。人種問題から宗教、音楽、歴史学までジャンルの境界をなぎ倒し、多様化する世界を読むための補助線を引くのだ。

 レーガンはもちろんのこと、子ブッシュですら「いい大統領だった……」と敬愛を込めて振り返られる2020年、政治の荒廃ぶりは尋常ではない。それはアメリカでも日本でも。
 今年11月に行われるアメリカ大統領選に向け、民主党の副大統領候補としてカマラ・ハリス上院議員が発表されると、トランプは案の定、「その資格はない」デンデンと発言しはじめた。
 カマラ・ハリスは、父方がアフリカ系ジャマイカ系で母方がタミール/インド系。アフリカ系女性としては2人目、南アジア系としては初の上院議員として活躍してきた。そして今や、事実上(=2大政党が指名する候補としては、の意味)、アフリカ系としてもアジア系としても初めて、女性としては3人目の副大統領候補となった人物。トランプの理屈は「彼女の出生当時、両親はジャマイカ籍とインド籍で、アメリカ永住権も持っていなかった」ということらしいが……この男は、オバマに対しても同様の論法を展開してはいなかったか。
「バラク・オバマの出生地、実はケニアでは?」と言いがかりをつけ「だから大統領候補にはなれない」と導く、バーサリズム(birtherism)という陰謀論。トランプはそれを今度はカマラ・ハリスに対しても展開したわけだ。

 その前後から、トランプの言動がさらにおかしくなってきた。自国内の郵便ポストに難癖をつけては破壊や強奪、TikTokユーザーとK-POP(主にBTS)ファンに対する敵視。さらに、政敵ジョー・バイデンに対する言いがかりも神がかってきたのだ。
 トランプ曰く、「バイデンは中国に対して弱腰だ。よって、今回の選挙で私が敗れる事態となれば、アメリカは中国のものになる。そして、アメリカ国民は中国語を習得せざるを得なくなる」と。

 この無茶な言いがかり、「実は中国寄り」と評されるトランプ自身の姿勢を誤魔化さんとする姑息な努力ではあるが、わたしが最初に思ったのは……
 世界中で「米語しかしゃべれないゴリ押し独善主義の権化」と見なされている節があるアメリカ人たちが他言語習得に励むとしたら、それは殊勝な心掛けではないか! この時代、マンダリン(北京語)くらい学んでおいたほうがいいと思うぞ。
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 とはいうものの、わたし自身が北京語話者というわけではない。
 この「マンダリン"くらい"学んでおいたほうが」というのは、いつぞや、わたしが中華圏の話題を出した際に「ぼくもマンダリンくらいは学ぼうかと」という発言で応えたクリス・ペプラーへのトリビュートである。

 わたしがクリス・ペプラーの番組J-WAVE『TOKIO HOT 100』に出演し始めてずいぶん経つ。その放送中に聞いた――本筋とは関係ない――エピソードの数々の中でも最高なのは、彼がサンディエゴに留学していた頃のものだ。
 サンディエゴはアメリカ合衆国カリフォルニア州南端に位置し、メキシコに接している街。メキシコ側の街ティワナと合わせて「国境を挟んだ双子都市」とも言われることがある。もともとメキシコ領だったという経緯もあり、米海軍の拠点となった今でもレイ・ミステリオやフランキー・Jなどメキシコ系アメリカ人住民が多い。そんな街で暮らす学生クリス・ペプラーは、周囲の人にどう映るか? メキシコ系の青年に見えたのだ!
 だから、道行くメキシコ系に同胞として声をかけられることも多々。ペプラーが「いや、スペイン語はできないんだ」と英語で返すと、「それでもメキシカンか!」となじられたという……。

 そんなサンディエゴ。もう一人、この街に関してわたしが思い出すのが、ロビン・クロスビーという故人だ。1980年代のLAメタルを代表するバンドの一つ、Rattのメンバーだったハンサム巨漢ギタリストである。
 国境の街サンディエゴ出身だからか、それともアポロニア・コテロなるメキシコ系女性と付き合っていたことがあるからか。アメリカ白人らしからぬ――という決めつけ自体が偏見の産物だが――ひらけた人だったようで、80年代後半と思われる時期に、このような趣旨の発言を残している。
「アメリカ人は世界のどこでも英語が通じると思ってる。相手が理解していないと見るや否や、同じセリフを大声で繰り返す」

 そう! なぜか、アメリカ人は英語がユニヴァーサルな言語と信じているのだ。
 それを見事に皮肉ったのがハリイ・ハリスンによる反体制ユーモアSFの傑作『銀河遊撃隊』。そこでは英語があまりにもユニヴァーサルな言語であるがゆえに、異星人も英語ペラペラなのである。敵の異星人に悟られぬよう、主人公たち(アメリカ人たち)はやむなくドイツ語で脱出計画を話し合う、という場面があった。

 だが、我々がアメリカ人を責められた義理だろうか?
 2007年、横浜で開催された世界SF大会にて。わたしはジョージ・タケイと話した。と言っても、こちらはサインを求める一般客に過ぎないが、多少なりとも有利だったのは、まがりなりにも英語がしゃべれるからだ。
「ほとんどのアメリカ人は英語しか話せないのに」とわたしを誉めてくれたタケイ叔父貴だが、そんな彼自身は英語と(レイ・ミステリオ並に滑らかな)スペイン語に加え、日本語もそこそこいける。つまり、「日本語しか話せないのがデフォルトな日本人にしては、なかなかやるな」というのがジョージ・タケイの偽らざる心情だったのではないか。

 そう、日本人もアメリカ人と並んで他言語ができないことで知られる。最近はかなり弱気になったが、エコノミック・アニマルと呼ばれた頃の我々は、かなりの「ゴリ押し独善主義の権化」だったのだ、と思う。
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 先のトランプの「アメリカ国民は中国語を習得せざるを得なくなる」発言に戻る。
 この楽しい妄言に関してわたしがツイートしたところ、こんなリプライがあった。

外国語は無理でもせめてメートル法ぐらい学べよと言いたい。

 これを見て、わたしはいろいろ考え込んでしまったのだ。
 同意するところがないわけではないのだが。
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 もうずいぶんと前だ。とあるTV番組にウィッキーさんが出てきたときのことを覚えている。

 ウィッキーさんことAnton Wicky Ampalavanarは大英帝国領セイロンだった頃のスリランカに生まれ、日本で海洋生物学を学んで学者兼タレントとなった人だ。わたしが興味深く感じたのは、彼がMIA側の人物だということ。つまり、スリランカでは少数派のタミール系ヒンドゥー教徒なのだ! が、そんな重要な情報も日本語版ウィキぺディアには載っておらん。さすが日本である。

 本題に戻ると。
 その番組で、ウィッキーさんが「ぼくの国では賛成・同意の意味で首を横に振り、反対・異議アリの意味で首を縦に振る」と発言したのだ。すると、居並ぶ日本人出演者たちは突如として同調圧力の権化に変身! 異口同音に「スリランカが世界のやり方に合わせるべきだ」と責め立てるように言う。
 まだ若かった当時のわたしですら、その一致団結ぶりから匂い立つファシズムをおぞましく思ったものだ。確かウィッキーさんは、ややうなだれながら寂しく微笑んでいたような。無言のまま、だったと思う。

 わたしとて「逆に世界がスリランカに合わせるべきだ」とは思わない。しかし、少数派の風習を否定し、自分たち多数派のやり方を押し付けるだけでいいのか?
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 わたしはマイノリティについて考えるのが好きだ。それが高じて『マイノリティ・リポート』というタイトルのイベントをやっていたこともある。
 ……と言うと、「少数民族についてですね!」とすぐに誤解して爆走する視野の狭い(自称)リベラルがいるから困るが、いや違う。そうではなく、ありとあらゆる物事に関する多数派と少数派の割合とその分布についてだ。例えば、その国の多数派はミルクを飲めるか、それとも乳糖不耐症か。耳垢はドライとウェット、どちらが多いか。あるいは自動車進行方向の右と左、世界ではどちらが多数派か。どのスポーツがどの国で人気があり、競技人口は何億いるか。アブギダ、アブジャド、アルファベット、音節文字、表語文字、どれが一番メジャーか。
 いろいろ考える中でわかったのは、「こちらの多数派は、向こうの少数派」であり、時として「A国の常識はB国の非常識」ということだ。だが、その「非常識」が「正される」べきだとは思わないし、どんな地域にしろ少数派が多数派のルールを受け入れねばならないとも信じていない。
 なぜ二者択一でなければいかんのだ?

 仮に少数派を「異常」と呼ぶことにするなら、アメリカは異常な国である。サッカーでもクリケットでもなくアメリカン・フットボールや野球に熱中し、メートル法ではなくヤード・ポンド法で暮らす。アメリカン・フットボールも野球も世界的にはレアなスポーツであり、ヤード・ポンド法は絶滅危惧種だ。例のユーモアSF小説『銀河遊撃隊』でも、メートルとフィートの混同&計算ミスから予想外の地点にワープしてしまう展開がある。
 ここで告白すると……かくいうわたしも、かつてはヤード・ポンド法を「不合理」と断定していた。12進法が混入しているし、我々なら小数で表現するところを分数で表したりする。数学的に見て、なんと効率悪いのか、と。
 これがゼノフォビアとエスノセントリズムの大爆発でなかったら何だろう?

 もちろん、アメリカ人がメートル法を学んでくれれば、当方としてはありがたい。
 しかし、その際に当方がヤード・ポンドを学ぶ姿勢を持たないのであれば……我々こそ、多数派であることを笠に着たオプレッサーではないか。スペイン語や中国語を喋る移民1世を見て「ここはアメリカだ! 英語をしゃべれ!」と罵るアメリカン右翼のように。
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「正しいかどうかではなく、多数派の意見が正義なんだ」と断言するネトウヨをツイッターで見かけた。
 わたしとて「何が正しいか」は知らない。だが、多数派の要求――それは往々にして少数派に犠牲を強いるものだ――がまかり通り、マジョリティが自らの流儀をマイノリティに課すとしたら、それはディストピア以外の何ものでもない。
 そして、そんな多数派独裁の傾向は、今まさに世界各地で暴走しているように見える。

 フランスをはじめとするヨーロッパ大陸の何ヶ国かにおけるムスリム女性の伝統的な服装に対する法的圧迫はひどいものだし、BREXITが決まった直後のイングランドでムスリムの肉屋が焼き討ちにあったことも忘れられない。
 アメリカはもちろんだが、その規模の面で特に恐ろしいのはインド。トランプと通じるところがあるモディ首相が唱えるのは「インディア・ファースト」だが、実際には「ヒンドゥー・ファースト」であり、そのポイントは少数派への弾圧&排除にあるようだ。主たるターゲットは、国民の14%を占めるムスリムである。

 東アジアの某国で、総人口の1%強しかいないマイノリティである「土人」が住む島々に米軍基地を押し付けてきたのも、マジョリティが団結して彼らをスケープゴートに選んできたから。その島々は今や、利権にまみれた愚策「GoTo」なんちゃらのおかげで、医療崩壊の危機に瀕している。16世紀のアメリカ大陸とカリブ諸島を比べれば分かる通り、島というものは疫病に弱いのだ……。

 多数決が恣意的に用いられ、多数派独裁が簡単に成立する限り、今のままの「民主制」に未来を託すわけにはいかないのではないか、と思ったりもするのだ、わたしは。
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 ただ、多数派独裁に関して、付け加えておくと。
 多数派の意見が反映されるとは限らないトリッキーな選挙――「自民党総裁」と違って直接選べるものをあえて間接投票ゲームにする謎の制度――で大統領が決まるという点でも、アメリカはやはり不思議な国である。
※解決法はハサン・ミンハジが提案している。
 

 

 まあ、それを言い出したら我が国の自公政権とて――最多投票獲得派閥であることを否定するつもりはないよ――国民の過半数の票を得ているわけではないのだが……そもそも投票率が絶望的に低いので。