昼食を食べていると、いきなり猛然たる轟音が上空に轟きわたり、それがヘリコプターではなく、ジェット機の爆音だということは、なにしろ3月から、南風の吹く夕刻、都内の上空を飛ぶ羽田新ルートの飛行機の騒音を毎日のように耳にしているからわかったものの、まさか自衛隊のブルーインパルス6機が白いスモークを噴射しながら飛んでいるなどとは想像もしなかったのだが、テレビを入れると、若い男のアナウンサーが、女子アナの可愛ぶったアニメ声に対抗したかのようなうわずった高い声で早口でコロナ禍について憂い顔で喋る番組の中で伝えるところによれば、自衛隊の小型ジェット機が、医療従事者に敬意と感謝を伝えようと東京都心や感染症指定医療機関の上空を2周旋回飛行したということなのだ。世田谷の自衛隊中央病院の屋上が画面に映じ、ピンクのユニフォームを着た看護師や医者の集団が大喜びで手を振ったり拍手をしたり、スマホをかざして映像を撮ったりする画面に続いて首相官邸屋上では首相と大勢のその部下たちが、やはり満面の笑顔(久びさの?)で手を振ったり、拍手をしたりと、感動の大はしゃぎである。夕方のニュースでは、TBSの男子アナが、ブルーインパルス、何度見ても感動的ですよね、とリモート画面の番組パートナーの女性に話しかけ、女性は感動のあまり、涙ぐまんばかりである。飛行は20分ほど続き、爆音は遠くなったり近づいたりして頭上に轟きわたるので、医療従事者はともかく、彼等が献身的に治療している当の入院患者のことが気がかりになる。風邪で熱が出たり、喘息の発作、つい最近では右半身の痺れ程度のことで寝ていても、軽オートバイの音や、近所の子供たちが道路でキーキー声で騒ぐのが体の芯に響くことを考えると、病人にとっては二次災害のようなものだと思ったのだが、感染症の病室には外の音は聞こえないのだろう。
ブルーインパルスが都心上空を飛ぶのは「前回東京オリンピック開会式と、二〇一四年の旧国立競技場のお別れイベント以来、三度目」だそうで、むろん、今度も国策飛行だろう。
自衛隊中央病院上空を飛んで関係者たちが大喜びしている画面を見て思い出したのは、主人公(語り手)の姉が自衛隊の看護婦として働いている設定の大江健三郎の『セヴンティーン』(’61年)である。「自瀆常習者」の「おれ」は「セヴンティーン」の誕生日のみじめな自瀆後の後悔と頭痛に悩まされながら、みじめさをいや増すかのようにアメリカの流行歌(ポップス)「おお!キャロル」を歌い、夕食後、皇太子夫妻と自衛隊を「税金泥棒」とののしって、自衛隊の病院で看護婦をしている姉と口論をして徹底的にやりこめられる。自衛隊がなくアメリカの軍隊が日本駐留していなかったらどうなるか? それに隊員の農村出身の二、三男たちは、自衛隊がなかったらどこで働ける? と言うのだ。『セヴンティーン』の第二部『政治少年死す』は右翼の攻撃を受けたが、同じ六〇年安保闘争という大衆的政治運動のもとで書かれた『風流夢譚』のような事件をひきおこさなかったのは、作品の質によるにしても、当時の出版社(文藝春秋と中央公論)の自社出版物に載せた文学作品に対して右翼にどういうスタンスをとったかの相違があったのだが、それはそれとして、1964年、東京オリンピックが開催され、戦争がおきたかのようにマスコミに動員(どういん)された他の多くの作家たち同様、大江健三郎は批評的見聞録を書く。開会式では、国立競技場の上空に「自衛隊機の飛行士たち」が五輪を描き、「二千九百九十九羽の鳩」が放たれ(どういう訳の数なのか?)、聖火台には《原爆の子》が点火する。
56年後の今年、いつの頃からか、私たちはオリンピックのことをすっかり忘れてしまったらしい。新聞のスポーツ欄には各競技の選手や批評家の、3月24日に発表された1年延期決定について新たな決意や感想が載りはするが、実際
2週間の世界のスポーツの祭典の延期について、当事者のJOC理事(山口香、朝日新聞5月12日インタビュー「再考2020」)でさえ「日本のスポーツ界が延期に関する議論をした記憶はな」く、開催が決まってから、自分たちは「五輪の力や価値を過大評価していた。誰もが五輪が好きで、応援してくれるという感覚」を持っていたと反省する。
56年前の東京オリンピックの閉会式について書きながら、大江は、「リモート・コントロールの声にそそのかされ」大量の肉を食いつくして消費する大男の外国人の食欲を見込んでウシ、ブタ、ニワトリへのつつましい投機をこころみた農家が「いっこうに値あがりの気配もないまますぎた二週間のあと」高く売れる肉になりそこねた動物たちを前に困りはてているという意味の新聞の投書をひきあいに出すのだが、それが終わろうとしているとき、「たいていの人たちが、お金にはならなかったけれども、すなわち物質的には損だったが、精神的には得だったという計算結果をだそうとしている。」と若くブリリアントな才能を持つ小説家、大江健三郎は書く。新聞にオリンピックについての感想を投書する「彼等」は、「あのラジオのアナウンサーの悲壮調に代表されるマス・コミの大宣伝に影響」されたのがあからさまな、と、多くの者たちはこうしたあたりまえの事実をはっきり書いたりはしないのだが、大江は続けて、それも無理のないことだ、と書く。「二週間ぶっつづけにそれに耳をかしていれば(テレビの普及率は1959年の皇太子の結婚のパレードの中継と64年のオリンピック中継で増加したことになっているが、62年には48.5%の普及率だったから、ラジオの悲壮な絶叫調(ヒステリック)中継がまだ力を持っていたのだろう。引用者)その影響からすっかりまぬがれることなどできない」し「あえて消費文明ロボットになることに抵抗した人」にしても「いくらかは!」影響下にある、と書く。
今年、東京オリンピックは中止にはならず、1年後に延期されたのだが、「東京五輪中止が囁(ささや)かれていること」についての「開催されない、その虚(むな)しさに日本人は耐えられるだろうか」(東浩紀)という「心配」は回避されたが、もちろん、新型コロナウイルスのワクチンが作られないかぎり、東京オリンピックは中止になると考える人々は多いだろう。
たとえば、新聞の美術評欄を藤田一人は「コロナ禍の活動自粛要請で、日本の芸術文化は死ぬ!という論調に接するたびに、日本の芸術家とはそんなに軟(やわ)なのかと考えてしまう」(東京新聞5月29日)と書きはじめる。こうした「このままでは死ぬ!」と
56年前の東京オリンピック時に「文学者の見た世紀の祭典」として編集された本の文庫、なぜかタイトルが銀(ぎん)色で印刷された『東京オリンピック』(講談社編)は、世界的な規模の「煌びやか」な「世紀の祭典」をいわば、国策に動員をかけられた「錚々たる当代の名手たちが、文学者の視点で」、「一九六四年東京のすべてを活写し」た91のエッセイを集めたルポルタージュなのだが、三島由紀夫の11本ほどではないが大江は、後に2020年東京オリンピック招致に情熱を注いだ石原慎太郎の収録数より一つ少ない5本が収録されている。
閉会式を見て「オリンピックはオリンピックで」ただ「それだけのこと!」という片づけ方が衛生的だと思う大江は「すくなくともぼくはそうしたい。そうでなければ本当に、オリンピックに無関心でそのあいだ精力をたくわえておいた連中に、ヒトアワふかせられかねない!」と当時の文化状況というか環境を知らない者には謎のようにしか見えないことを書いているが、2014年、オリンピック開催決定を機に上梓された文庫の解説を書いている高橋源一郎は、先輩作家たちの文章を「筆のオリンピック」と称して「金メダル」を与えるのだが、「この本を読み終え、最後に、そしておそらく誰もが持つであろう感想は、「この次の東京オリンピックでは、誰がどんな文章を書くことになるのだろうか」ではないだろうか。」と、「だろうか」が二度重なる、ダルい興味とどうでもよさが混じりあったような奇妙な文章を書いている。
オリンピックが延期になり、作家たちはオリンピックではなく「コロナ」について書くことになった。オリンピックの
〈この項つづく〉