向田邦子より自分が年上になったとき、ものすごく奇妙な感じがした。二十代の私が、向田邦子にたいして「ものすごく大人の女性」という印象を持つのはわかる。でも、なぜこの作家は私より年下になったのに、まだ、ずっと年上の女性のような印象のままなのだろう?
その問いはともかく、このエッセイのおさらいをしてみよう。ベスト・エッセイというだけあって、おさめられているのは名エッセイばかり。そうだったそうだった、と自分の記憶のように思い出すものもあれば、遠い記憶の底から浮き上がってきて、新鮮な感動を覚えるものもある。何より、向田邦子という人が愛したものが、章立てにぎゅっと凝縮されている。家族、おいしいもの、猫と動物たち、身のまわりのもの、旅、仕事。
あらためてこの名エッセイを読み返して、私は細部にわたるその妙技にうなった。もちろん向田邦子が名エッセイストだということは、それこそ二十代のはじめから知っている。でも、成長して学校を出て働きはじめて家を出て、映画雑誌から脚本家、作家へと、仕事というより生きる場所を変えていく向田邦子の日々を、それと同じような時間を自分も過ごしてきたあとで、こうして読み返すと、若き日よりずっとずっと深く濃く、心に染みこんでくる。そして、あらためて気づいてしまう。向田邦子のエッセイは特異だ。特殊だ。向田邦子はある意味、エッセイのパイオニアだと私は思ってしまう。
もちろん向田邦子以前にエッセイ、随筆を書いた女性作家は大勢いる。宇野千代だっているし森茉莉だって中里恒子だっている。向田邦子の同世代である、須賀敦子、大庭みな子、津村節子……と名を挙げていけば、それぞれの個性や魅力はともかく、向田邦子のエッセイがいかに変わっているかはっきりするだろう。ひとつ年上の田辺聖子のエッセイが、親しみやすさという点では向田邦子にまだ近いだろうか。でも、近いのはそこだけ。
何が変わっているかといえば、読み手の強力な共感である。はじめてのエッセイ『父の詫び状』が出版された後、自宅の電話のベルが頻繁に鳴り、本文に登場する父親が自分の父親と同じだと語る人がいかに多かったかが「娘の詫び状」に書かれている。「わかるわかる」を作者本人に伝えなければ気がすまないほどの共感。これは異常事態だ。
今の時代は、明治生まれのこわい父親を知らない人が多いだろうから、「父の詫び状」に共感はしないかもしれない。でも、「たっぷり派」を読んで、わかるわかるとうなずく人はいるはずだし、ネットでなんでも調べられる時代でも、「幻のソース」にうなずく人もいるだろう。「黄色い服」に自身の幼少期を重ねた人も、「お辞儀」に老いた親を重ねて涙した人もいるだろう。わかるわかる、ばかりでなく、「あるある」も多い。こちらが体験していないから共感しようもないことでも、向田邦子の文章は、読み手の五感を刺激して、体験させてしまう。電車のなかからライオンも見せるし、六十グラムの子猫も抱かせるし、ふだんはこわい父親の泣き声も聞かせ、海苔弁も味わわせ、そして、共感させる。読めば体験してしまうのだから、この共感は、時代や世代を軽々と超える。
同時代を生きた同世代の人たちにも、令和の時代を生きる私たちにも、同じくらいの近さを感じさせる、そういうエッセイを向田邦子以前に書いた人はいないし、以後もいない。
しかしながら向田邦子には近所のおばさん的なところがまったくないのも、不思議ではないか。向田邦子が描く日々の細部は、面識もない人が思わず電話を掛けてしまうくらい、「わかる」「あるある」「そうそう」と、私たちの感情や記憶と近しい、ちっぽけなもの̶̶かんたんにいえば庶民的なものであるが、作者に庶民的な印象を持つかといえば、持たない。多くの人が憧れの対象にすらすれ、近所に住んでいそうだと思ったりはしないのである。私も、はじめて読んだ若き日から今に至るまで、向田邦子はずっと憧れの対象である。具体的に何に憧れるか、というと、暮らしや生きかたのセンスだったり、自立した姿勢だったり、エッセイからうかがい知ることはできても、文字ではっきりとは書かれていないことだ。
だれしもがうなずける庶民的なことを書くが、でも庶民的ではない存在。その矛盾が矛盾とならない不思議の種明かしは、じつはこの一冊のなかでなされている。
「私は、テレビの脚本を書いて身すぎ世すぎをしている売れのこりの女の子(?)であり
ますが、脚本家というタイトルよりも、味醂干し評論家、または水羊羹評論家というほうがふさわしいのではないかと思っております」(「水羊羹」)
さらには、
「決して、理想の家、夢の茶の間にしないことが、愛されるテレビドラマの茶の間になる
コツなのである」(「テレビドラマの茶の間」)
そうなのだ。男女雇用機会均等法などまだまだ先の六〇年代、七〇年代、いってみればばりばり男性優位の時代、ラジオの台本から書きはじめた向田邦子は、ぐんぐん陣地を広げテレビ界へと進出し、向田ワールドを確たるものとし、芸能の世界を颯爽と闊歩していた。まだ若いうちに都心の一等地にマンションを買い、テレビ関係者や俳優女優と食べて飲み、さらには赤坂に飲食店まで出してしまう。一般的な暮らしとはまったく異なる、派手ではなやかな世界の住人なのである。
しかしそのはなやかさ、とくべつさをひけらかすことを、この作家はぜったいに自分に許さなかった。芸能の世界にいた人だと、読み手が忘れてしまうほどに。先に挙げた「愛される茶の間」理論よりよほど強く深い信念が、無意識にせよあったはずだ。その信念の礎は、含羞だと私は思う。この作家は、自身の内に含羞を深く強く抱いていて、それが、ドラマにせよエッセイにせよ小説にせよ、書くことの礎になっていたと私は思うのだ。
厳しい父親と慎み深い母親に育てられたからだけではない、もっとべつの、心のやわらかなところで、向田邦子は含羞を知ったと私は想像する。それはたとえば、「お弁当」や「薩摩揚」に描かれた、一瞬の心の動きだ。言ってみればそれは、相手が持っていない側だと気づき、さらに、自分が持っている側だと気づいたときの強烈な恥ずかしさ。それは、作者の言葉を借りれば「茶色の粗末な風呂敷と、ほかほかと温かい茹で卵の重味」だ。「春霞に包まれてぼんやりと眠っていた女の子が、目を覚まし始めた」鹿児島時代に、まだ中学生にもならない少女はこの礎を自分の内に持ったのだろう。
仕事の章で、往年のスターたちとの交遊録も書かれているが、それがきらきらしい世界のことに思えないのは、ここにもやはり含羞があるからだ。向田邦子は名だたる有名人ではなく、彼らのなかの人間を見据え、それを書く。きらきらしい人たちのきらきらしい名前も飾りも、恥ずかしいからぜんぶ剝ぎ取って、生身の人を見るのだと思う。
それでもその含羞の隙間から作者本人の強靱さがにじみ出る。この一冊の大トリが「手袋をさがす」であることに、私は感動した。このエッセイが、ずばり向田邦子という人の本質だと思うからだ。この強さ。たくましさ。意地。そして、軽やかさ。
もっともっと。そう思いながら仕事をいくつも掛け持ちし、夜の銀座を笑いながら闊歩する若い女性は、今の私には娘くらいの年齢だけれども、それでもやっぱり、ずっと大人に思えてしまう。向田邦子という人は、たぶん永遠に私にとって年上の女性でい続ける。もっともっとと駆けだしていくその背中を、追いつくことができないまま、私は見続けていくのだろう。
「向田邦子ベスト・エッセイ」解説
向田邦子原作「字のないはがき」(西加奈子・絵)で「親子で読んでほしい絵本大賞」を受賞した角田光代さんによる解説