「二丁目は、何だか怖くて行けない」
時々、そう言われることがある。
何が怖いの? と訊いても、なんとなく、とか、何だかね、とか、ぼんやりした答えしか返ってこないから、恐怖を克服するのを手伝おうと思ってもどうすればいいか分からないのが常である。
それも無理からぬことだろう。人間というのは分からない物事に対して恐怖を覚えるようにできている生き物だ。恐怖を感じる物事は敬して遠ざける、触らぬ神に祟りなし、そうした本能が人類を生存競争から生き残らせた。そして二丁目なんてアジア最大のゲイタウンときてる。見るからに胡散臭い。そこは背徳と頽廃が跋扈し、乱交と性病が蔓延り、いずれは天から降ってくる硫黄と烈火で焼き払われるソドムの街だ。まともな人間なら一歩踏み込むが最後、その街に巣くうおぞましいホモやレズにオカマを掘られたり純潔を奪われたりするに違いない。
ごめん、流石に言い過ぎた。恐らく多くの人はただ遊び方を知らないだけかもしれない。その街特有の文化を知らずに軽い気持ちで立ち入れば、自分の言動で他人が傷付いてしまうことも、ないとも限らない、そう懸念しているのかもしれない。であれば素晴らしい心遣いだ。確かに、単に物珍しさに惹かれて冷やかし目的で行くのなら、どこに行っても大して歓迎はされないだろう。大いにやらかして思いっきり出禁を食らうといい。しかしそうでない限り、今の二丁目はそこまで来る者を拒むような場所ではないと思う。
そう言う私も、一時期は二丁目は行きづらいと感じていた。私は特にお酒は好きじゃないし、煙草の臭いもとても嫌いだ。人見知りで、知らない人に話しかけたり、逆に話しかけられたりするのも苦手だった。恋に関しては一目惚れすることがほとんどなく、じっくり時間をかけて相手を知っていくタイプだから、酒場で運命の人と出会って即恋に落ちるといった素敵な出来事に恵まれる可能性も低い。身体を動かすのが下手だからクラブイベントにも向かない。そんな私は二丁目を心から楽しめず、なかなか行こうとは思えなかった。
あの頃の私にとって、二丁目はとてもよそよそしい顔をしていた。お近づきになりたいと思ってもなかなか振り向いてくれない女のように、その冷たそうな横顔を眺めているとこちらもつい怖じ気づいてしまう。今でも恋仲になれているとは言い難いが、少なくともお互い顔を見知っていて、会った時に挨拶くらいはする程度には仲良くなっている。
ある街がどんな顔をしているか、それは見る人によって大きく異なる。かつて治安が悪いというイメージがあった歌舞伎町でも、その街で生まれ育った人々や、そこで生業を営んでいる人々にとってはとても愛おしい顔をしているだろう。
新宿二丁目もまた然り。拙著『ポラリスが降り注ぐ夜』(筑摩書房刊)は二丁目を舞台とした連作短篇集だが、小説の中では色々な人が、色々な思いを抱いて、色々な目的でこの街を訪れてくる。視点が違えば、街の表情もまた違って見えるのだ。是非このめくるめく世界を堪能してみてほしい。
さて、あなたにとって、この街はどんな顔をしていますか?
PR誌「ちくま」3月号より李琴峰さんのエッセイを掲載します。