都市にはそれぞれの色があると思う。
例えば京都は緑で、台北は灰色。北京は真っ白で、西安は橙色。カイロは砂ぼこりの黄色で、シドニーは澄み渡る青。
何故そう思っているのかと言うと、最初に京都を一人で漫ろ歩いたのは桜も紅葉も雪もない真夏で、あるのはそこら中を埋め尽くさんとばかりの、鬱蒼とした樹木だけだったからだ。台北に住んでいた頃は人生で一番苦しかった時期で、見上げると灰色の空が広がっていたように思われた。初めて北京を訪れたのは大雪の日で、紫禁城も万里の長城も真っ白な雪に覆われ、西安は橙色の光を放つ鐘楼が町の中央に鎮座しているのが印象に残った。カイロは砂漠に囲まれているせいで空気までもが黄土色に見え、港町であるシドニーの三月は海も空も心が痛むほど青かった。
もちろん、そうしたイメージには個人的な主観が多分に含まれているだろう。しかし都市に対するイメージは常に主観的で、人間の記憶と都市の記憶が溶け合った時にはじめて「意味」が現出するのではないか、とも思う。
新宿二丁目の色は思い出すまでもない。暗闇に毒々しく煌めく、色鮮やかな看板の群れ、そんな繁華街らしい絵があまりにも鮮明に浮かぶので、烏羽色(からすばいろ)とでも言おうか。吸い込まれるような深い黒だが、それ故にあらゆる光を際立たせ、濡れたような艶を持たせる。誰でも簡単に溶け込んで隠れてしまえるような、それ故に安心感を覚えるような深い黒。
しかし記憶の糸を手繰っていくと、それが二丁目に対する第一印象ではないことに気付く。初めて見た二丁目は黒どころか、真夏の午後の陽射しが降り注いでいた。
あの時、私は四週間の短期留学で東京に来ていた。ある日の午後、友達に案内されて二丁目を訪れた。もっとも、当時の私はまだ「新宿二丁目」という地名も、その場所が持つ意味も歴史も何一つ知らなかったし、日本語もまだ複雑な話題を理解できるようなレベルには至っていなかった。ただ案内されるがままに、曲がりくねった路地をいくつも通り抜け、古ぼけた雑居ビルのエレベーターに乗り、僅かに開いている扉を開くと広々としたフリースペースに辿り着いた。十年以上前の話である。
今にして思えば、あの時訪れたのは「akta」というコミュニティ・センターで、確かに外国から初めて東京に来た未成年の大学生を案内するのに相応しい場所だったが、当時どんな人達に会い、どんな話をしたのかは今一つ覚えていない。日本語力の制約もあり、大抵の話題にはついていけず、聞き流すことしかできなかったと思う。ほとんど何も記憶に残らなかった、そのワクワクもドキドキもない安穏な訪問が、私の二丁目初体験である。
十数年の時が経ち、日本語が上達し、日本に移り住み、二丁目という街の性質と歴史を多少なりとも分かっている私は、いつしかこの街へ通うようになった。暗闇に煌めくネオンの群れと、その下を行き交う人々の物語に思いを馳せながら、この街を舞台にした小説『ポラリスが降り注ぐ夜』(筑摩書房、二月末刊行予定)まで上梓することとなった。ぜひ紐解いてみていただきたい、これが私の見ている新宿二丁目の色だ。
PR誌「ちくま」2月号より李琴峰さんのエッセイを掲載します。