息子は、三人の頃のチャットモンチーを知らない。六年は、短いようで長い。
くみこんに初めて会った場所は、鳴門教育大学の軽音部の部室の前。あっこちゃんが紹介してくれた。寝起き、みたいな印象を受けたのだけど、実際パジャマだったんじゃないかなと思う。私は鳴教生でもないのに軽音部に入れてもらっていて、そんな年下の新参者に、とても優しくしてくれてた。
教師になるために愛媛からやってきてたくみこん。鳴門を愛し、大学の仲間や先輩や後輩に愛されていて、だけどどこか人に触れさせないスペースみたいなものを持ってる人だなと思っていた。
そんな久美子さん(出会ってしばらくはこう呼んでた)がチャットモンチーにドラマーとして入ると決めてくれた時は、あっこちゃんと手を叩いて喜んだ。とっても嬉しかった。ほんとに勇気のいる決断だったと思う。だって先生になるために入った大学。当たり前のようにベースを弾いてたあっこちゃんも相当すごいけれど。
くみこんが詩を書き溜めていると知ったので、良ければ歌詞を書いて欲しいと伝えたら、ほんとに脱退する最後の最後まで、歌詞を書き続けてくれた。
くみこんの歌詞はひとことで言うと、楽しい。
生きていて、見たこと聞いたことはあるけど未だ発したことのない言葉が紙の上にうじゃうじゃいて、しかも初期の頃なんかは手書きでもらってたから、彼女の達筆と相まってほんとに楽しかった。
「えっちゃんこれ、新しい歌詞じゃけん」と、自作のお弁当箱を開ける時みたいな雰囲気で歌詞を渡してくれる。何故か照れる瞬間ではあったけど、私はいつもわくわくしてた。消しゴムで消さずに線で間違いを訂正しまくってるのを見ると、コタツか何かの机に向かって、ああでもないこうでもないと頭を悩ませてる横顔がいつも浮かんでいた。
チャットモンチーの歌詞は、詩として成立しているものが多くて、そこにメロディー、リズムや楽器、歌がのってくるから、感情を込めて歌いすぎるとくどくなる。くみこんの情景たっぷりの歌詞には、あくまでもクールに歌うことが、似合う。パチンコ玉みたいに自由に転がる歌詞だからこそのメロディーがいっぱい浮かんだ。
くみこんのにおいがする歌詞っていうと、まあ全部そうなんだけど、いろいろ思い返してみても、ほんとにまあ全部そうなんだけど、「サラバ青春」、「ドッペルゲンガー」、「Y氏の夕方」、「雲走る」、「あいかわらず」、「桜前線」、「湯気」、等の歌詞は、どこをどう切り取っても高橋久美子だし、メロディーラインもとても気に入ってる。
今でも、くみこんの歌詞に一番ぴったりなメロディーをのせられるのは私だと思ってる。
三人が揃って、一段と本気モードに入ったチャットモンチーのデビューは、意外と早く決まった。一本一本のライブが勝負で、なめられないように、ふりしぼるようにライブした。
ライブはもちろん、曲作り、レコーディング、プロモーション、ツアー、まさに怒濤の東京生活。練習も今までみたいに思う存分できない。終電までダッシュの日々。
アルバム一枚出すたびに、腹を割って話す時間こそどんどん減っていってしまったけれど、くみこんから歌詞をもらってそれを読みメロディーをつけることで、ああ、今こんな気持ちなんだ、と、その時々のくみこんの心を垣間見れている様な気がして、安心するようになった。
脱退したいと聞いた時は、素直に納得できたけど、うまく想像ができなかった。それまでにも危うい時期があったから、なんとなく覚悟はできていたのに。
自分の詩の世界に没頭していくくみこんを隣で見ていて、正直に書いてしまえば、めっちゃさびしかったし、すぐ隣にいるのにめっちゃ遠かった。だけど、足や腰を痛めながらドラムを叩いてきた彼女が、いろいろ限界を迎えているのはわかってた。
白井さんとの絵と詩の個展も、東京のは行ったけど、徳島のは行けなかった。その頃の私は、メロディーをつける必要のない詩を直視できるほど、大人ではなかったんだと思う。
実は、『思いつつ、嘆きつつ、走りつつ、』も、ちゃんと読めてなかった。気づいたらいつのまにか時間がたってた(ごめんねくみこん)。今回解説のお話をいただいて、改めてじっくり全部読んだ。
B'z のくだり面白過ぎる。高橋家の血はほんとに面白い。ユニークな人が勢ぞろいしてる。くみこんがつっこみにまわるという素晴らしい家族。ある意味恐ろしい。
旅行の珍道中も、らしさで溢れてる。彼女は、心と頭と足が三位一体なんだたぶん。
旦那さんが仲間になっている感覚も、すぐにイメージできた。永遠を誓わないからこそ、今にあぐらをかくことはしない。ただこの旦那さんも相当な変わり者とみた。
あと、大学生の久美子さんに感じていた、人に触れさせないスペースの存在が、なんとなくだけど初めてわかったような気がする。たぶんそのスペースには、彼女自身にも摑めない速度で常に言葉が渦巻いていて、そこから何かを表すための言葉を捕まえるのに一生懸命なのかもしれない。
小さな穴に手を入れて捕まえる、風に舞うくじ引きみたいな。
去年の夏、チャットモンチーの完結を一足早く知らせるために、くみこんとふたりでご飯を食べた。ふたりきりなんて何年ぶり!だったからか、何を着ていけばいいかわからなかった。家を出る直前に、やっぱ着替える、という具合で、たぶん私は元カノに会う元カレみたいだった。
久しぶりに会ったくみこんは、想像してた以上に元気で、どこか少し大人になっていて、でも相変わらずの方向音痴で、家族の話、旅行の話、知人の近況、仕事の話、いろんな話をした。
そして最後に、「お疲れ様」と言ってくれた。
昔三人でラジオをやっていた時。リスナーからの悩み相談でくみこんが返した言葉。どんな相談だったか詳しくは忘れてしまったんだけど、くみこんは「夢は変わってもいい」って答えてた。心強い人だなと思った。くみこんだから言える言葉。でも私もそう思う。誰かに作られた夢じゃない、自分で作った夢なんだから、自分が作り変えてもいいんだと思う。
くみこんの結婚式でもらったお気に入りのコップにコーヒーを入れる朝の時間。
くみこんが作った絵本を息子に読む夜の時間。
なんでもない毎日が本当は記念日だったって、デビューミニアルバムですでに教えてくれてたくみこんへ。
『いっぴき』発売、おめでとう。