〈神話〉が作る国家
太陽の女神であるアマテラス大御神(おほみかみ)が天石屋(あめのいはや)に隠れると、世界が真っ暗闇になった。英雄スサノヲの命(みこと)がヤマタノヲロチを退治して、平和な世界を実現させた。騙したワニに毛皮をはがれたシロウサギは、オホクニヌシの神の治療によって元の体に戻ることが出来た。これらの神話は、恐らく日本で育った者ならば、誰もが聞き覚えのある話だろう。私も、どんなきっかけだったかは思い出せないが、不思議と物心ついた時から、今述べたような神々の物語を知っていたような気がする。
これらの神話は、ご存じの通り、古事記や日本書紀に載っている。それが分かったのは、たぶん中学生か高校生の頃だった。さらに大学に入学した頃、それが日本の国の〈歴史〉の一齣であると理解した。このとき不思議に思ったのは、先ほど述べたような、現代の感覚からすれば絵空事に思える神話の数々が〈歴史〉とされているということだった。これは、いったいどういうことなのだろう。なぜ国家の〈歴史〉が、神々の話から始まるのだろうか。天皇が登場するところから〈歴史〉を始めても、よかったのではないだろうか。
不思議といえば、次のことも気になる。国家が作られる時、そこには建国の理念というものがあったに違いない。しかし、為政者が交替し、憲法まで一新され、正式な国の名称に若干の変更がなされたとしても、人々が基本的に「日本」であることを疑わないのはなぜだろう。そもそも国家の上には、建国の理念などでは説明しきれない何か、ある種の「神話」が存在するのではないだろうか(9・11の時のアメリカでは、国旗や国歌や祝福歌である「ゴッド・ブレス・アメリカ」により、そのような「神話」が発動していた気がする)。
「日本」という国号が成立してから、少なくとも千三百年が経過している。この長い時間が「日本人」であることの意味を無自覚にしているのだろうか、私たちの多くは、いつ「日本」というものができたのかを考えたことがない。しかし、この列島にも「日本」が誕生した歴史的瞬間があったはずなのだ。本書では、古事記・日本書紀・風土記の中の神話を読みとくことで、そんな「日本」が誕生した「古代」という時代について考えてみたい。
大和王権国家の〈神話〉
本書が論じるのは、八世紀の初頭、この列島に存在した神々の物語としての文字通りの神話であり、大和王権が新しい国家の実現を目指して創作した〈神話〉である(以下、特定の者が意図を持って創作したものを括弧付きで〈神話〉と書き、古代人によって信仰され、村落共同体の中で伝承されていた純粋な神話とは区別して表すことにする)。
大和王権の〈神話〉は古事記と日本書紀に記載され、また各地の風土記には地方の神話や〈神話〉が記録されている。国家の〈歴史〉を記した古事記と日本書紀は、ともに天武の詔勅によって編纂が開始された。そこにどのような必然性があったのか、背景を確認しておこう。
天武即位の直前には、壬申の乱(六七二年平定)という我が国の古代史上最大の皇位継承争いがあった。壬申の乱は当時の氏族社会を二分する大きな事件であり、その混乱を経て即位した天武は新たな律令国家の建設を決意したとされる。
また、東アジア世界に目を向けると、当時の大和王権は、中国の歴代王朝による冊封 から抜け出して、みずから東アジアの小帝国であるという主張を持っていた。七世紀の初頭に遣隋使を派遣した推古天皇は自らを「日出る処の天子」と称し、隋の皇帝と対等な地位を主張した。その後、孝徳天皇の時代に「大化」という独自の年号を持ったが、それは「時の支配者」でもあった中国皇帝への明らかな対抗心によるものであろう。さらに天武から持統天皇の時代にかけて「天皇」「日本」という称号・国号を定めたことも、中国に学びながら自前の「律令」を定めたことも、そうした大和王権の思惑を反映したものである。
このような国内外の歴史的背景を持って古事記・日本書紀は作られた。新しい権力が新しい国家の実現を目指す時、まずは過去の〈歴史〉の上に、自らの存在を正当化することが必要なのだ。これは日本に限ったことではなく、たとえば中国における歴代王朝の場合も同じである。古事記と日本書紀は、新しい天武王権による、新しい国家作りの正当性を国内外に示すために作られた〈歴史〉であると考えてよいだろう。その〈歴史〉を〈神話〉時代から説き起こしたところに日本国史の特徴がある。
古事記と日本書紀の成立
古事記は元明朝の和銅五年(七一二)に、日本書紀は元正朝の養老四年(七二〇)にそれぞれ完成した。平城京への遷都がなされ、まさに新時代を迎えようとしていた。中国や朝鮮半島からは、科学技術や、社会制度や、思想など、さまざまなものが次々に伝来した。
いまだ日本に固有の文字がなく、漢字という外国語の文字に頼っていた時代である。日本書紀は、中国にも通用するよう漢文体で書かれた日本初の正史である。いっぽうの古事記は和文体で書かれている。近年相次ぐ「歌木簡」の発掘などで、列島における文字文化の歴史が問い直されているが、古事記の表記は、漢字の音だけを利用した万葉仮名を巧みに操り、時に語順さえも日本語に倣った自在な文体であると言える。万葉仮名を用いた例をあげてみよう。
次に国稚く浮べる脂の如くして、くらげなすただよへる時(次に国がまだ未熟で水に 浮く脂肪のようで、クラゲのように漂っていた時)
という文を古事記は次のように表記している。
次国稚如浮脂蚤而 久羅下那洲多陀用幣流之時
太字で示した部分が万葉仮名表記である。引用文の前半部では「次」「国」「稚」「如」など全ての漢字が意味を表し、漢文の語順にも適っているのに対し、万葉仮名表記である「久」「羅」などは音だけを示す仮名であって、読み方も上から下へとそのまま読めばよい。漢字の意味を用いて漢文で記す部分と漢字の音だけを使って和語を伝える部分を組み合わせた文体である。もちろん一朝一夕に成った文体ではないだろうが、古事記を書いた太安萬侶(おほのやすまろ)の最新の工夫がそこにはある。古事記も初の正史である日本書紀とともに、いわば新時代の最新モードであったに違いないのだ。
このようにして成立した両書、とくに対外的意識を強く持って編纂された日本書紀にまで、なぜ〈神話〉があるのだろうか。なぜ国家の〈歴史〉を説くのに、「偉大なる初代神武天皇が初めて国を統一した」というところから書き起さなかったのだろうか。おそらく、神話がなおも無視することのできない力を持っていたからに相違ない。
なぜ〈神話〉が必要なのか
古事記や日本書紀の〈神話〉とは、大和王権国家の由来と正当性を説くために創作・編集・記載された〈建国神話〉で、〈王権神話〉とか〈宮廷神話〉などとも言われる、極めて政治的な〈神話〉である。極端に単純化してその趣旨をしめせば、「天上界に日の神であるアマテラスという偉大な主宰神がいて、その神の力のもとで初めて地上の国土が秩序を維持していた(天岩屋戸〔あめのいはやと〕神話)。だから、その神の偉業を継承する子孫がこの国土に降臨して王となる(天孫降臨神話)」ということになる。正確には〈歴史〉の最初にある「神代(かむよ) 」という一時代の記録として記載されているのである。
天地創成に始まり、イザナキ・イザナミの国生み、アマテラスの石屋(いはや) 隠れ、スサノヲのヲロチ退治、オホナムチ(オホクニヌシ)の国作りと国譲り、天孫降臨、海幸山幸の兄弟争いなどを経て、初代神武天皇の誕生までが、時間軸に沿う形で、基本的には淀みなく展開するのだ。
そして時間は神武、綏靖(すいぜい)……と歴代天皇の時代へと確実につながってゆくことになっている。
これに対して、民衆の間で口承されていた純粋な神話とはいかなるものであるか。たとえば、直木孝次郎は、神話を次のように定義づけている。
「神話といわれるためには……(中略)……最小限、つぎのような三つの条件が必要だ と思う。まず第一に、神々についての物語であること。第二に、一部知識人の創作ではなく、広く民衆のあいだに語り伝えられ、信じられていること。第三に宗教性または呪術性をもち、社会を規制する力をもつこと。この三つである」(『日本神話と古代国家』講談社学術文庫)
神話は本来、宇宙の成り立ち、人の生き死に、社会の道徳や法までを決定する力を持ち、人々に信仰されていた。その意味で、同じ神の伝承でありながら、昔話や民話といわれるものとは一線を画している。さて、古事記や日本書紀の〈神話〉は、第二の条件に明らかに抵触するだろう。だから、純粋な神話と作られた〈神話〉とを、明確に区別しなければならないのだ。
神話学者の松村武雄は次のように述べている。「神話は「聖語」(hierologia)であり、疑ふことや拒むことの出来難い「力」であり、……他のいかなるものよりもより強い説得力を有するものであ」り、だから「幾多の特権者たちは」「恰(あたか) も申し合せたやうに、特に神話することによつて政治した」と(『日本神話の研究』第一巻、培風館)。古事記や日本書紀の〈神話〉は、疑う余地もなく、特権者による〈神話〉なのである。
神話を装うために
さて、古事記や日本書紀の〈神話〉が、本当の神話ではないことを言ってきたが、それでも神話の体裁をとっているという事実も見過すことができない。これは当たり前であるが、先にあげた直木の定義でも、〈神話〉は第一の神話の条件を満たしている。そして、おそらく神々の物語にするというのが、第三の条件の大前提であったに違いない。この第三の条件である「規制力」「宗教性・呪術性」を、本書では「神話力」と呼ぶことにするが、果たして創作された〈神話〉は「神話力」を持っているのだろうか。あるとすれば、どのようにして形成されるのだろうか。
神々の物語であることは、まず最初の基本的な条件であるが、それだけで「神話力」は得られないだろう。新しい〈神話〉の作者が、神々の物語を一から創作したとしても、それはただ奇抜な神々のお話にしかならないのではないか。誰も知らない神々ばかりが活躍する、まったく聞き覚えのない物語など、説得力を持ち得るはずはないし、「皇祖(天皇直系の祖先)アマテラスが唯一の絶対神であり、だから子孫の天皇が国王である」という〈神話〉を明日から信じて生きるように言われても、それに納得する人などいるはずはない。信じてもらえないような〈神話〉ならば、古事記や日本書紀がそれを持っている意味がもともとないのだ。「初代の天皇は偉大だった」から〈歴史〉を書き起こせばよいのだ。
事実として、古事記や日本書紀の〈神話〉に登場するのは皇室ゆかりの神々ばかりではない。出雲や日向など地方に息づいていた神々が、皇室関係の神々以上に活躍している。また〈神話〉の中には、世界の諸民族が伝承していた神話とそっくりのものがある。新しい〈神話〉は、地方の神話、民衆の神話が持つ「神話力」を利用しながら創作されたに違いない。
風土記の神話(あるいは〈神話〉)
古事記が成立した翌年に当たる和銅六年(七一三)には、風土記編纂の官命が出された。日本書紀も最終的な編纂段階に至っていた頃である。その官命は、風土記に記載すべき項目として、「山川原野の名号の所由」(山川原野の名前の由来を伝える地名起源伝承)や「古老の相ひ伝ふる旧聞異事」(古老が代々伝承してきた神話伝承)をあげている。そんな時代まで、地方の神話の把握は大和王権にとっての必要事項であったのだ。
神話は人々がどのような価値観を持って生きているかを示す、いわばイデオロギーの象徴である。王権が地方の神話を利用しながら、新しい〈神話〉を創作するのは、列島全体を一つの価値観で覆って、国家イデオロギーを確立しようとしたために違いなかろう。
そして、その国家の〈神話〉を地方が受け入れた瞬間に、その地方は精神史上においても「日本」になったということができるだろう。たとえば出雲に住む人々が、「出雲人」として生きているのと、「日本人」として「日本」の出雲地方で暮らしているのとでは、意識の上で大きく異なるはずだ。前者の生き方が育むものは、この列島の上にあった出雲文化であり、後者が担うものは「日本文化」の一端である。こうした見通しのもと、「神話力」をキーワードとして、この列島の精神史の一齣を見届けたい。
本書の構成
さて、本書の構成は次の通りである。
第Ⅰ部「〈建国神話〉の形成」では、古事記や日本書紀の〈神話〉に地方の神々が登場し、民衆が口承したと思われる神話の痕跡が見られることを確認し、〈建国神話〉がいかにそれらを利用し、神話力を維持しながら作られたかについて考える。特にスサノヲ・オホクニヌシが活躍する〈出雲神話〉の世界に注目したい。
第Ⅱ部「記・紀の〈神話〉をどう読むか」では、我々は〈神話〉という形のテキストとどう向き合うべきなのか、〈神話〉の何をどこまで読むことができるのか、という問題提起を行いたい。古事記と日本書紀がそれぞれ別の作品であり、それぞれ独自の世界観を持っていることは既に自明のことと言ってよい。古事記と日本書紀の諸伝を漫然と一括りにしたかつての「記紀神話」という概念が成り立たないことは、神野志隆光(「古事記と日本書紀」講談社現代新書、「古事記の世界観」吉川弘文館)や三浦佑之(「古事記を読みなおす」ちくま新書)がそれぞれ別の視点から説いている。
いっぽうで、イザナキ・イザナミが国を生み、ニニギが高千穂に降臨するなど基本的な〈神話〉の筋書きが同じなのも事実である。そこに神話力に頼った〈神話〉作品が成り立っていると考えたい。新しい〈神話〉作りは無限に自由なのではなく、神話力を維持するためにこそ、ある種の拘束を受けることが必要だったのだろう。では、それを前提に、古事記・日本書紀というそれぞれのテキストを、どこまで、どのように読むことができるのかを問いたいのである。旧来の漠然とした「記紀神話」ではなく、古事記・日本書紀それぞれの〈神話〉作品を読むためにこそ、再び、しかし今度は自覚的に〈記紀神話〉の可能性を探ってみたい。
第Ⅲ部「出雲が「日本」になった日」では、出雲国風土記と古事記・日本書紀の〈神話〉とを比較し、地方と中央の間での神話(あるいは〈神話〉)をめぐる攻防の跡、地方と中央とを往来した神々の履歴を確認する。大和王権は出雲の神々を利用して〈建国神話〉を作ったが、出雲の人々はいつからそれを受け入れ、自ら「日本人」であると自覚するようになったのか。この列島における精神史上の「日本」誕生の一端を見届けてみたい。