つい先日、衆議院選挙が終わりました。立候補者の名前を連呼する選挙カーや街頭演説で騒がしかった町も、やっと静けさを取り戻したところです。
衆議院が解散され、選挙が実施される。日本では、戦後初めて女性にも参政権が与えられ、国政選挙が行われた昭和21(1946)年4月10日以来、ずっと繰り返されてきたことです。しかし、長年続けていれば、ついつい、その意味や大切さを忘れてしまうことがあります。似たような政治家が同じようなことを繰り返す光景に、ちょっと飽きてしまっている自分に気づきました。
新鮮味がないと言ったら不謹慎でしょうか。このままではまずいと思い、初心に帰るつもりで、戦後初の国政選挙の様子を知りたいと考えました。本当ならタイムスリップして、現場を見てみたい……ものの、まだ時間旅行の技術は確立されていないので、別の方法で当時を知ることにしました。
国立国会図書館には、インターネットでアクセスできる膨大なデジタルライブラリーがあります。その中に、初の国政選挙の資料として、国民に対して投票を呼びかけるポスターを見つけました。大正から昭和にかけて活躍した女性作家・生田花世の文章を掲げた文部省の選挙ポスターで、「貴いもの」というタイトルで女性の投票を呼びかけています。その文章が、かなり熱い。
「新しい日本は何で築く」から始まり、「國民の内から盛り上る命で築く」「男の命ばかりでなく 女の命で築く」と続き、「下駄のやうに脱げない それは吾 この一票」 「帶のやうに解けない それは魂 この一票」と盛り上がります。最後には、「あの立派な人の名を書きませう」「どうぞ 新日本を築いて下さいと熱願をさゝげて書きませう」で締めくくられていました。
データで見ても、投票率は男性で78.52%、女性では66.97%という驚異の高さです。ちなみに、私も投票した先日の衆議院選挙の投票率は53.68%で、戦後2番目の低さだったそうです。台風が来襲していたことを差し引いても、どんどん選挙に関心が薄れているのが、数字でもわかります。
しかし、実は今回、選挙を報じるニュースや選挙に関する情報にちょっとした変化がみられました。「フェイクニュース」という言葉をどこかで聞いたことはないでしょうか?
フェイクニュースとは、虚偽情報が含まれ、主にSNSなどインターネット上で拡散されるニュースのことです。今、このフェイクニュースが世界のあちこちで問題となっています。この言葉が注目されたのは、2016年11月の米大統領選でした。
当時共和党の候補者だったトランプ氏に有利になるような偽ニュースを発信するサイトが立ち上がり、多くの人たちが「本物のニュース」と勘違いしてアクセスしたり、自らFacebookやTwitterで拡散したりという現象がみられました。
有名なフェイクニュースとしては、「ローマ法王がトランプ氏を支持した」、「対立候補のクリントン氏がテロ組織に武器を売っていた」などがあります。こうしたトランプ氏に有利なフェイクニュースが支持層を拡大させ、トランプ大統領の誕生につながった、というのがよく言われていることです。
続く今年5月の仏大統領選でも同じようなことが起こりましたし、昨年6月に英国でもEU脱退をめぐる国民投票で、EUに残留したいグループと離脱したいグループが熱戦を繰り広げ、ヒートアップするあまり、誇張表現や虚偽の情報が入り乱れる結果になりました。
もちろん、フェイクニュースは、古来より存在していました。しかし、メディアの片隅で仕事をしてきた者として怖いなあと思うのは、本来であれば虚偽情報を否定し、駆逐してきたはずのテレビや新聞といった旧来のメディアの報道が、信用してもらえなかったということです。これまでのメディアが主体的に情報を選りすぐり、事実と確認してから報道するという仕組みが、壊れてきているのかもしれません。
人々は意識してか、無意識なのか、わかりませんが、旧来のメディアには見向きもせず、自分自身の手で玉石混交の情報を取捨選択して、信じたいものを信じるようになった結果、「石」であるフェイクニュースを多くつかまされているように見えます。
そうした状況から、ついには「ポスト・トゥルース」という言葉が頻繁に登場するようになってきました。要は、「真実がどこにあるかは関係ない」という状況のことを示しています。2016年11月に英国のオックスフォード英語辞典も「今年の言葉」(ワード・オブ・ザ・イヤー)として、この言葉を選びました。
朝日新聞の報道によると、オックスフォード英語辞典の定義では、「世論形成において、客観的事実が、感情や個人的信念に訴えるものより影響力を持たない状況」という意味になっています。フェイクニュースの拡散に頭を抱える欧米の苦悩が伝わってきます。
日本も、フェイクニュースとは無関係ではありません。今回の選挙では、新聞やニュースサイトが盛んに「ファクトチェック」をするようになりました。これまでは、「まさかこんな怪情報を信じる人はいないだろう」と放置していた偽情報をいちいち、検証してみせたのです。欧米のように、人々の投票にまでフェイクニュースが影響しないよう、取り組んだのではないかと思います。
インターネットが登場し、SNSが私たちのコミュニケーションのインフラとなり、スマートフォンでどこからでも簡単に情報を送受信できる今、情報の流れてくる経路は複雑化しています。新聞社とニュースメディアで合わせて記者歴20年となる私でも、一見、これは本当の情報なのか、どこから来たのか、悩むことは毎日のようにあります。
複雑化なんて表現では生ぬるい。情報とメディアは液状化を起こしているといっても、言い過ぎではないと思います。だからこそ、信頼性の高い情報を得ることが今後、ますます大事になってくるでしょう。なぜ、欧米の選挙や国民投票でフェイクニュースが横行するのか。裏を返せば、それだけ多くの人々の未来に関与できる度合いが大きいからです。選挙に無関心なのも困りますが、関心があったとしても、それが知らず知らずのうちに、フェイクニュースに蝕まれてしまっているとしたら?
想像すると、あまり愉快なことではありません。歪んだ情報から出発した選択の帰結は、やはり歪んだものになりますし、何より、他人の考えで自分の未来が左右されるなんて、まっぴらです。
この連載では、まず今、液状化しながら私たちを取り巻いている情報を解きほぐし、どのように振る舞うことが望ましいのか、考えていきたいと思います。「その情報はどこから?」。その疑問を持つことから、始まります。
この連載をまとめた『その情報はどこから?――ネット時代の情報選別力』 (ちくまプリマー新書)が2019年2月7日に刊行されます。